（２）

「あらきれいな男の子、弟さん？」

時計屋さんは悠君を見るとそう言った。

「はい」

「あらいいわね、きょうだいで買い物？」

「ええ、まあ」

従弟です、と言おうと思っていたのに先を越されて、思わず「はい」なんて答えてしまったばかりに、きょうだい、ということになってしまった。時計屋さんが奥に時計を取りに行ったときちらりと悠くんを見たら、変な顔をしてわたしのことを見ていた。

時計屋さんは懐中時計を出してきて、修理の経過を説明してくれた。

「・・・結局歯車を交換しないで新しい歯を埋め込むだけにしたわ。どの部品も素晴らしくて、交換する気になれなかったの。歯車の修理はわりと早く済んじゃったんだけど、分解掃除をして少し調子が変わったかもしれないので、念のため数日間様子を見たの。たぶんこれで大丈夫。それにしてもいい時計ね。素晴らしいものを見せていただいたわ。どうもありがとう」

「いえ、そんな」

ありがとう、なんて言われて、わたしは恐縮してしまったのだった。

「保証期間は一年間だから、調子が悪くなったらいつでも持ってきてね」

時計屋さんがそう言ったとき、店の奥で電話が鳴った。

「あら電話。それじゃあね」

時計屋さんが店の奥に引っ込んでしまうと、悠くんがデイパックから腕時計みたいなものを取りだして言った。

「さあ舞さん、これを腕に付けて」

「なにこれ？」

「さあ、早く」

なにがなんだかよくわからないけど言われるとおりにすると、一瞬頭から血が下がるような感じがして、それから外が少し暗くなり、喧騒が止んだ。

「僕がいい、というまで、それを絶対に外さないでくださいね」

「え？？？」

「五秒間だけ舞さんの時間を頂きます。拡張率は五百倍、体感時間は二千五百秒、四十分ちょっと、というところでしょうか」

「何を言ってるの？」

「いま、この部屋の中だけ時間を拡張しているんです。部屋の外から見ると僕たちはとんでもない速さで動いているように見えるはずです」

「どういうこと？」

「お店の中の時計を見てください」

時計はすべて止まっていた。

「どういうこと？」

「五秒間を五百倍に拡大しているんです。時計は止まってるわけじゃないんです。ものすごくゆっくり動いているんです。小さな子供のときに、時間が長く感じられた経験はありませんか？」

「うん、あるけど・・・」

「あと、楽しい時間ほど早く過ぎてしまう、という経験をしたことはありませんか？」

「あるけど・・・」

「そういう状態を人工的に作り出すのがこの機械なんです。タイム・エキスパンダー／シンクロナイザーっていいます」

悠くんは携帯電話そっくりのその機械を見せてくれた。

「今は時間を拡張しているんですが、逆に短縮することもできます。短縮のほうはそんなにできないんですけどね。それから時間を拡張したり短縮したりしているときに時空とのつながりを確保するということもしているのです」

「何を言ってるのかわからない」

わたしは嫌悪感から腕時計みたいな機械を外そうとした。

「あ、それは絶対に取らないでください！それは安全装置なんです。この部屋の中にいる限りそれがなくても安全ですが、外に出ると『同期』が失われてしまうことがあるんです」

「『同期』って？？？」

「僕たちの『存在』とは時空の『同期』なんです。『物質』は時空の『同期』によって形成されているんです」

「え？？？」

「つまり僕たちの『存在』というのは複数の時空──宇宙、あるいは世界、と言い換えてもいいのですが──の『同期』のことなんです。したがって僕たちの『存在』とは宇宙と宇宙の境界、でもあります。

・・・つまり『同期』が失われると『存在』も失われるのです」

「それは変だよ。だってエネルギー保存の法則、とかいうのがあったはずだよ。悠くんの言う通りだとすると、それと矛盾するような気がする」

「『同期』とはエネルギーのことなんですよ。エネルギー、『物質』、時空の境界、の三つは同じものなんです」

「え？？？・・・でもそうだとするとわたしたちのしてることってすごく危険なことなんじゃないの！？」

「実はさっき電車の中で、このことについてはひととおり説明したのですが・・・」

悠くんは済まなそうに言った。

「わかったよ。聞いてなかったわたしが悪かったよ。でさあ、わたしをこんな危険な目に合わせてどうしようっていうの？」

「僕の言うとおりにしていただければ、決して危険はありません。機器の信頼性の増した現在では以前のような事故は起こりません・・・」

「昔はどんな事故があったっていうの？」

「・・・・・・消滅した人たちがいました。でも、それは完全に過去のことです。少なくともこの十年間事故は皆無です」

わたしはそれを聞いて少し落ち着いたが、とにかくこんな状態とは早くおさらばしたかった。

「何のつもりかしらないけど、早くもとの世界に帰して！」

「はい、できるだけ早く片付けます・・・それじゃあその時計を貸してください」

「どうするの？」

「『つくもがみ』状態になっているかどうかを調べ、そのことが確認されたら裁判を行います」

「裁判？」

「ええ。もちろん相手は人間でも生物でもないので『人権』みたいなものは考慮されませんが。つまり半ば形式的なものです。ただ、『つくもがみ』がこのような形式を好むので、いろいろ好都合なんです。裁判の記録は今後の『つくもがみ』対策の貴重な資料になります」

「それで裁判の後どうするの？」

「『つくもがみ』を消去します。そして舞さんに時計をお返しします。つまりこの場所で裁判をするのは舞さんの危険を少しでも早く取り除くためなのです」

「ふーん」

「もちろんお店の方に事情を説明してもわかってもらえないでしょうから、ちょっとした仕掛けでお引取り願ったのです。つまりあの電話です。あれは僕が仕組んだんです」

悠くんはデイパックの中から担任の教師の愛用している大昔のヘッドホンステレオみたいな機械を取り出し、カウンターの上に置いた。

「懐中時計を貸してください」

悠くんはその中に時計を入れ、機械の表面のボタンやダイアルを操作した。

「では、始めましょう」

「何を？」

「まずはこの時計が『つくもがみ』状態であることの証明です。この装置の中に入れてしまえば、時計にはこのボタンを押したときだけ僕たちの声が聞こえるようになります。ちょっと試してみましょう。

──あなたはガラクタの時計ですね？」

すると装置の液晶の小さなスクリーンに『ＮＯ』と表示された。

「ではほかのもので試してみましょう」

悠くんはわたしの時計を装置から取り出し、かわりにカウンターの奥にあった腕時計を持ってきて入れた。

「ちょっと拝借します──あなたはガラクタの時計ですか？」

スクリーンには『憑依反応なし』と表示された。

「つまり普通の物では何の反応も起きないんです。ほかにも試したいものがあればどうぞ」

消しゴムと生徒手帳で試してみたけど、結果は『憑依反応なし』だった。それからもう一度時計を入れて、『あなたは由緒正しい時計ですか？』と質問してみた。結果は『ＹＥＳ』だった。

「もうよろしいですか？」

「うん、いい」

わたしは悠くんの言うことやすることをそのまま信じる気にはなれなかったけど、時計が壊されるようなことはなさそうだったので、とりあえず悠くんに任せることにした。

「開廷します。

被告ＳＳ−２７日本国東京都××区（省略）在住遠江舞氏所有の懐中時計──以下時計とする──の略式裁判を開始します。

罪状──殺人未遂。

起訴事実──ＳＳ−２７暦××××年×月×日午後四時三十分頃東京都××市××電鉄××駅において被告時計は所有者遠江舞氏を磁気混濁により昏倒、ホームより三番線線路に転落せしめ、同番線に進入中の急行列車により轢死せしめんとしたものである。然れども偶然現地に居合わせた器物憑依霊調査員悠により企図は未然に防がれ未遂に終る。

被告時計は起訴事実を認めますか？」

するとスクリーンには『ＮＯ』と表示された。悠くんは首を傾げ、「素直じゃないやつ」と呟いた。

「被告時計は遠江舞氏を殺害する意図を持っていましたね？」

──『ＮＯ』

「被告時計は遠江舞氏を昏倒させましたね？」

──『ＹＥＳ』

「被告時計は遠江舞氏を線路に転落せしめんとして昏倒させましたね？」

──『ＹＥＳ』

「それなのに殺害の意図はなかったというのですか？」

──『ＹＥＳ』

「急行列車が三番線に進入中であるという事実は認識していましたか？」

──『ＹＥＳ』

「それでも殺害の意図はなかったというのですか？」

──『ＹＥＳ』

「しかし遠江舞氏が線路に転落すれば進入中の急行列車に轢かれるという認識はありましたね？」

──『ＹＥＳ』

「つまり遠江舞氏を線路に転落させれば結果として死に至らしめるかもしれないという認識はあったのですね？」

──『ＮＯ』

「あなたの言い分では、遠江舞氏が急行列車に轢かれても死ぬとは思えなかったということになりますが」

──『ＹＥＳ』

そこで悠くんは腕を組んで考え込んでしまった。わたしは電車に轢かれても死なないヤツと思われていたことにすげームカついていた。

「ねえ、『ＹＥＳ』と『ＮＯ』以外の答えはできないの？」

そう聞くと、悠くんは困ったような顔をした。

「ええ。『つくもがみ』がほかの反応をできない、というよりも、『ＹＥＳ』と『ＮＯ』以外の磁気変化のパターンが複雑で解析できない、というのがほんとうのところです。だから質問はすべて『ＹＥＳ』か『ＮＯ』で答えられるような形式でなければならないんです。

──では次の質問をします。

あなたが遠江舞氏を昏倒せしめようとしたのは遠江舞氏に怨恨を抱いていたからですか？」

──『ＮＯ』

悠くんはちょっと考えた。そしてわたしのことをちらっとみた。

「あなたの所有者は遠江舞氏ですね？」

──『ＮＯ』

「・・・ねえ舞さん、この時計はとても古いものですが、もともとはどなたのものなんですか？」

「父の。十六歳の誕生日にもらったんだけど、『これは代々伝わる時計で、十六歳の誕生日に伝えられる習慣になっている』って。ほんとかどうか知らないけど」

悠くんは再び時計に問いかけた。

「あなたの所有者は遠江舞氏の父親ですか？」

──『ＮＯ』

「では、遠江舞氏の父親の父親ですか？」

──『ＮＯ』

「では、遠江舞氏の父親の父親の父親ですか？」

──『ＮＯ』

「では、遠江舞氏の父親の父親の父親の父親ですか？」

──『ＮＯ』

「・・・では、遠江舞氏の母親ですか？」

──『ＹＥＳ』

「・・・どうやらお母様の物みたいですね」

悠くんはそう言うと黙ってしまった。わたしの家の状況もある程度知っているのかもしれない。

「よくわからないけど、お母様から舞さんへうまく受け継がれていないようですね」

「うちのこと、知ってるの？」

「・・・すみません。お母さまが離婚されて別の場所に住んでいらっしゃることは。でもそれに至る経緯というようなことは知りません。というか、そういうことは記録にありませんから」

「そう」

「──あなたは遠江舞氏への母親からの所有権譲渡をご存じですか？

──『ＹＥＳ』

「それを認めたくないので遠江舞氏を昏倒させたのですか？」

──『ＮＯ』

「・・・遠江舞氏を昏倒させたことは認めますね？」

──『ＹＥＳ』

「歯車の損傷は遠江舞氏を昏倒せしめた際に生じたものですね？」

──『ＹＥＳ』

「・・・以上で尋問を終ります」

悠くんは電子辞書みたいな機械を操作して、「判決が出ました」と言った。

「どんなの？」

「つまり普通の時計に戻す、ということです。

──求刑および判決。

憑依消去。

これにて閉廷します」

「なんかそれってめちゃくちゃじゃないの？時計の言い分を聞いた意味がないじゃん？」

わたしはなんだか割り切れない気持ちだった。時計はわたしが持ち主であることを認めてくれない。でも意に反してそうなったことを恨んでいるわけでもない。でもわたしを線路に突き落とそうとした。

そして命の恩人の男の子──悠くん──になにがなんだかわからない世界に連れてこられて、さらにわけのわからない状況を突きつけられてしまったわたし。

ああ、不思議の国の舞ちゃん。

「最初にお話ししたように、『つくもがみ』に人権みたいなものはないんです。でもごく例外的に持ち主を危険から守っている『つくもがみ』もあって、その場合はそのままにしておくこともあります。でも悪意を抱いているとか、この時計のように供述が曖昧であるとかいうような場合には消去してしまいます。というのも、よほどのことがない限り消去してしまったほうが安全だからです。では始めましょう」

悠くんはデイパックから小さな浴槽みたいな機械を取り出した。それは以前美術の授業で指輪を作ったときに使った超音波洗浄機とそっくりだった。

「これがその機械です。小物はたいていこれで処理します。これに時計を入れてスイッチを入れると一秒もかからずに『つくもがみ』を消去することができます」

そのとき、時計の入った機械がぶーん、という小さなうなりをあげた。

「故障？」

「いえ、違うと思うんですが・・・」

悠くんが機械の蓋を開けようとしたとき、機械は突然「ビー」という大きな音を出した。悠くんは驚いて手を引っ込めた。

「壊れたんじゃないの？」

「そんなことはないと思うのですが・・・」

機械からでる音は高くなったり低くなったりを繰り返し、最後にドレミファソラシド、とチャイムのように鳴ると沈黙した。もう一度悠くんが蓋を開けようとしたとき、機械は

『虹の彼方に』のメロディを奏で始めた。

メロディを二回繰り返し、機械は沈黙した。わたしたちは顔を見合わせた。悠くんは機械から時計を取り出したけど掌に載せて眺めているばかりで、さっきの超音波洗浄機みたいな機械の中に入れるのをためらっているようにみえた。

「ねえ悠くん、この時計の刑の執行を少し伸ばさない？」

わたしはそう提案した。でも悠くんは困ったような顔をして首を横に振った。

「でも、このまま放置しておくのは危険かもしれませんし・・・さっきの供述には曖昧な点が多いし・・・」

「悠くんは、どうしてこの時計が『虹の彼方に』を奏でたんだと思う？」

「さあ・・・」

「それじゃあ、わたしの話を聞いてくれないかなあ？もしかしたら関係があるかもしれない。その時計が悠くんのいうような『つくもがみ』というようなもので、『魂』があるのなら。でもここじゃなくて、わたしの家で話を聞いて欲しい」

「ここでの会話は周囲の人に聞こえませんよ」

「そういうことじゃなくて、家で話したいの。ここでこうやって立ったままじゃなくて、わたしの家でゆっくりと腰を落ち着けて話をしたいの」

「・・・いいでしょう。舞さんさえ構わなければ」

悠くんは機械を片付け、わたしは時計をブレザーのポケットにしまった。

「時計、お預かりしましょうか？もしかしたら危険かもしれませんし」

「悠くんが一緒だからだいじょうぶ。それにわたしが持っていたい」

「そうですか・・・」

悠くんは少し不安そうだった。でもわたしは時計の真意がわかるまで、時計を身に付けていたかった。時計のメッセージが何なのか、それが知りたかった。

悠くんが携帯電話みたいな機械を操作すると、外の世界がもとの明るさになり、街の喧騒が戻ってきた。

時間はほんとに五秒しか経っていないようだった。太陽はまだ沈んでいなかったし、時計の針もほとんど動いていないようだった。

不思議なことに、わたしは目眩いのようなものを感じながらも悠くんのことを信じ始めていた。

外へ出るとひどく疲れているように感じられた。

「お疲れみたいですね。ごめんなさい。タイム・エキスパンダー／シンクロナイザーを使うと、どうしてもこうなるんです」

でもそういう悠くんは、わたしよりもずっと疲れているように見えた。わたしはほとんど無意識のうちに悠くんの手を取った。悠くんの手は少し震えていた。

誰かと手をつなぐなんて何年ぶりだろう。手の温もり。わたしは悠くんの手をぎゅっと握った。すると悠くんも弱々しくだけど、わたしの手を握り返した。