（３）

音楽室では原田がピアノを弾いていた。原田は私達に気付くと顔を上げて挨拶した。

「ちわっす」

それから田山に話し掛けた。

「田山ちゃん、うまくいった？」

田山は返事をしなかった。沼田は首を横に振ってみせた。原田は少し驚いた顔をした。

「意外だね。田山ちゃんが失敗するなんて。でもそういう田山ちゃんって可愛いよ」

原田は笑いながら田山の頭をぽんぽんと叩いた。田山はその手を払いのけるといきなり原田を引っぱたいた。原田は頬を押さえながら笑って言った。

「失敗したからって俺に当たらなくったっていいじゃん」

田山は原田を見上げて睨みつけた。

「みんなあんたのせいなんだよ。あんたが間違えたからこんなことになったのよ」

「俺が何を間違えたって？」

田山はこれまでのいきさつを説明した。領家先生はそれを聞いてむっとしていた。

「あんたが間抜けだからこういう事態を招いたのよ」

「そうか。それは済まなかった。ごめん」

原田は素直に謝った。

「いいのよ、済んだことだから」

田山ももう怒っていなかった。

その部屋には原田のほかに蓮田と吉田の二人がいた。二人は原田が引っぱたかれたときを除いて議論に熱中していた。

「ところで経済学研究会は全部で九人じゃなかったっけ」

私は田山にたずねた。

「あとの四人はどこにいる？」

「経済学研究会？」

領家先生は首を傾げた。

「梨田君は家庭科室、あとの三人は今頃上越国境でスキーを楽しんでるはずよ。つまりね、私達は全員スキーに行ってることになってるの。学割も貰ったし、親にもそう話してある。スキーに行ってる三人は私達のアリバイを作っているわけね。ところでそろそろご飯にしない？もう出来てるはずよ。梨田君ってすごく料理が上手なんだよ。知ってた？」

私達は家庭科室で梨田のもてなしを受けた。梨田の作ったカレーは本格的で美味しかった。そういえば、化学の実験中のことだったが、梨田が手にすると乳鉢はすり鉢に、ビーカーは鍋に、ブンゼンバーナーはガスコンロに見えてしまうことがあった。梨田の実験の手つきは料理のそれではなかったか。

私達は食事の後片付けを梨田に任せて音楽室に戻った。後片付けをみんな梨田に任せてしまうのはどういうものか、と田山を非難すると、田山は笑って答えた。

「だって梨田君は後片付けも大好きなんだよ」

原田はピアノの前に座り、何やら難しそうな曲を弾き始めた。私と領家先生は椅子を持って来てピアノの近くに座った。蓮田と吉田は私と領家先生の向かい側に座り、田山はピアノに寄り掛かった。沼田はカメラを首から下げてその輪の外側に腰掛けた。

田山「さて。どこから始めようかな」

領家先生「経済学研究会っていうのはいったいどういう活動をしてるんだ？顧問は誰だ」

田山「顧問は飛騨先生だよ」

領家先生「あんたが？あんたは化学部じゃあないのか？」

私「化学部は御影先生です。どういうわけか私が経済学研究会の顧問を務めています」

領家先生「監督不行き届きだな。生徒にこんなまねされたんじゃ」

私「そうですね。どうしましょう」

田山「先生はほとんど顔を出したことがないから私達が何をしていたかまるで知らないでしょう」

私「うん」

領家先生「あんたそれでも顧問か」

田山「まあ抑えて抑えて。おかげで私達も自由に活動できたわけだしね。さて最初のうちは、たとえば社会主義国家が崩壊したという事実の前にマルクス経済学は存在意義を失ったのかどうかをテーマに、『資本論』を読んで討論するというような活動をしていたの」

領家先生「うそだろ。信じられん」

田山「ほんとよ。でもたいしたことをしてたわけじゃないの。『資本論』だって何が書いてあるのか誰もよく分からなかったんだよね」

領家先生「まったくアナクロなやつらだな。だいたいどうしてそんな研究会なんかを作ろうと思ったんだ？」

田山「どうしてだっけ・・・」

吉田「私が言い出したのよ。私はその当時から経済学部に行きたいと思っていて、同じクラスの原田君に声をかけたんです。それで原田君が田山さんや梨田君を誘って、最初は四人で始めたんです」

田山「そうだっけ？」

吉田「そうよ」

田山「まあ、吉田さんの言うことに間違いはないから。それでほんとにそんな活動をしているうちにみんなだんだんだれてきて、ただのおしゃべりサークルに成り下がっていったのよね」

吉田「あれはあれでよかったと思うけれど・・・」

田山「そんで今年度からは吉田さんに代わって私が会長になったんだけど、何か新機軸を打ち出したい。それにはどうしたらいいかな、といろいろ考えた。そこで、昨今検察官がかっこいい。私達もそれをまねしたらおもしろかろう。みんなで巨悪を暴こう。それに裏金には裏金の経済があるはずだ。裏金の経済学を研究するのも乙ではないか。そこで咲子とたっくんを誘ったの。咲子は写真の天才だし、たっくんはパソコンおたくだしね。『目』となるカメラと『頭脳』となるコンピュータ。私達には願ってもない強力な味方だよ。そういえば崖を崩す方法を考えたのもたっくんなんだよ。それで、あとの三人の酒田、宮田さん、串田ちゃんは普通の人だから、今回はアリバイ作りに回ってもらってるの。それでね、いったいターゲットを何にするか。それが問題になったのよ。身近で、しかも大きなお金の流れがあるところ。それは学校ではなかろうか。校舎を改築するのにもお金がかかるし、修学旅行に行くのだってお金がかかる。もちろん、国や自治体ほど大きなお金が動くわけではないけれども、不正の余地がないほど小さなお金ともいえないでしょ。それを暴くわけよ。調べてみなければ何が出てくるか分からない。だいいち不正が行われているかどうかすら分からない。この先どんな展開になるか見当もつかないことを調べるのって、考えただけでもわくわくするでしょ」

私「それは科学する心と同じだな。それで何か分かったのか？」

田山「最初は何も期待してなかったのよ。そう都合よく不正が行われていたりしてたまるものかと。それに、もし不正が行われていたとしても、たかが高校生ふぜいに何が出来るものかと」

私「そりゃそうだ」

田山「ところが！見つかっちゃったのよ。不正もその証拠も。それも意外と簡単に」

私「なるほど」

田山「もっと驚いた顔してよ。それでね、金の流れがどうなっているのかをもっと詳しく調べてみたの。そうしたら、誰が不正な帳簿の操作をしているのか、それをやらせているのは誰かってことまで分かっちゃったのよ」

私「そりゃ一体誰だ」

田山「実際に不正な操作をしていた人の名前は言えない。だってその人だってそんなことはやりたくなかったと思うのよ。でも、黒幕が誰かは教えてあげる。日高先生のお父さんだよ」

私と領家先生「本当か？」

田山「本当よ」

領家先生「どうしてそんなことが分かった」

田山「それは言えない。言えば私達以外の誰かにも迷惑をかけることになるから」

領家先生「何か証拠でもあるのか？」

田山「もちろん」

吉田は鞄から二冊のファイルを取り出し、田山に渡した。田山はそれらを私達に見せながら説明した。

田山「こっちが建前、こっちが本音。いわば二重帳簿になってるのよ。いろんなところから少しずつお金を浮かして、それを着服しているのよ」

領家先生「ところで、そんな不正の事実をつかんだからって、どうしようというんだ。警察にでも訴えるのか」

田山「そんなことして何になる？もしこの事実をばらされたくなくば、私達の要求を受け入れること。そうすれば証拠は返却、廃棄する」

領家先生「で、その要求っていうのは金か？」

田山「まさか。金なんかもらったってしようがないじゃない。私達の要求はこの三つ。ひとつ。卒業式には万国旗を飾ること。ひとつ。卒業式には紅白の幕ではなく、黒白の幕を使うこと。ひとつ。卒業式には校長はハート型の眼鏡を掛けてくること」

私「ずいぶんとまた、控え目な要求だな」

領家先生「俺はハート型の眼鏡を掛けた校長の姿がみたいぞ」

田山「学校側が私達に屈伏したところを見せてくれればいいのよ」

領家先生「それで、俺に何をさせたかったんだ」

田山「学校側との交渉に当たって欲しかったの。でも、私達は先生の恐喝に失敗したから」

領家先生「残念だったな。さて、話しも聞いたことだし、俺は俺の職務を全うすることに決めた。生徒が校舎を占拠しているのに出くわしたらどうすべきか。当然止めさせるさ。説得してな。馬鹿なまねはやめろって。それが不調に終わったらどうするか。教頭にでも連絡して対応を協議してもらうしかないだろう。その間俺はどうすべきか。お前達を見張ってなけりゃならんだろう。ほっときゃ何をするか分からないからな」

私「ということは結局生徒の言いなりになっているのと同じじゃありませんか」

領家先生「そうか？」

私「だって田山達は私や先生に学校側との橋渡しをさせたかったわけでしょう。先生は教頭に電話をする。そしてことの顛末を話す。当然田山達の見つけた横領についても触れないわけにはいかないでしょう。もしそれが事実であれば、向こうもしかるべき措置を取らざるを得ないのじゃありませんか。そうなれば田山達の要求を学校側に提示することになるでしょう」

田山「なるほど・・・」

領家先生「結果としてはそうかもしれないが、俺はあくまでも職務に忠実であるつもりだ。しかし、学校としてはこういう不祥事は表沙汰にしたくはないから、あんたの言う通りになるかも知れんな」

田山「私達もそう考えたんだよね。私と吉田さんと咲子と梨田君は推薦で行き先がもう決まってるんだよね。推薦取消なんていうと、学校の信用にも関るでしょう」