（２）

×月×+9日

ずるい。逃げたね。まあ、学会行きはずっと前から決まってたことだけど。

「うん、原因はぼくにある。わかっているんだ。」だって？なんにもわかってないじゃないか！

そりゃさあ、原因の一部はあなたにあるよ。それは認めるよ。なにしろ当事者は私たちふたりなんだから。でもね、ひとりだけに原因があるなんてことは有り得ないよ。

アキくんは弱虫だ。前はこんなじゃなかったのにいったいどうしたっていうの？私だって、独立したひとりの人間なんだよ。私たちのあいだで起こったことの責任は、必ず私にもあるんだ。それを認めてよ！「きららのため」なんてセリフは聞きたくないからね。そう言っちゃうのは、アキくんが弱虫だからだよ。

うまく会話しようとは思わなくていいよ。あきらめてるってことじゃなくて、会話ってそういうものじゃないでしょ？会話するための会話、なんてつまんないんじゃないかな。なんて偉そうなこと書いちゃったけど、これは反省でもあるんだ。会話しようよ、なんて書いたのは私だから。

こういう形で会話を語っちゃうと、会話できなくなるのかも。会話って、意識するときっとうまくいかないんだね。

まあ、会話がなくっても、交換日記が残ればいいんじゃないのかな。これだって会話かもしれないし。

でも、学会でどんなことがあったかとか、聞かせてね。

×月×+11日

ただいま。帰ってきたらきみはもう眠っていたから、ここに書いときます。

学会は、今回は司会をやっただけで自分の発表はなかったから気分的にも余裕を持って他の人の発表を聞くことができました。

金沢はとても寒かった。でも、今日は僅かな時間を割いて兼六園を見てきた。とてもよかったよ。季節的にはいまひとつなんだろうけどね。でも、きみと一緒に行けばよかった。一緒に旅行したことなんてあんまりなかったしね。

次の学会がどこかよさそうな場所で開かれるようだったら、一緒に行こう。それで、ぼくは学会に出席して、きみはそのあいだ観光をすればいい。

あとのことは明日話すよ。直接話したいんだ。

それから、きみの指摘──ぼくが弱虫だってこと──は、当たっていると思うよ。そう、ぼくは弱虫だね。いや、開き直っているわけじゃない。ただ、きみの言葉どおり、ぼくは弱虫だって思うんだ。もちろんいじけているわけでもない。

ぼくは、弱虫で、自分のことに自信が持てなくなっている。たぶん、そういうことだ。繰り返すけど、開き直っているわけでも、いじけているわけでも、ましてや卑屈になっているわけでもない。ただ、そのことを確かに認識したんだ。たぶん、そう自分で思うことが、ここから抜け出す第一歩であると思うんだ。確信はないけど、たぶんそうだと思うんだ。

もちろんだからといって、すぐに嫉妬しなくなるとか、そういうことはないだろうと思う。でも、会話はできるようになるんじゃないだろうか。

たぶん、ぼくは会話がうまくいかなかった原因を自分にあるっていっときながら、その責任を全部きみに押し付けていたんじゃないかなって思う。会話のイニシアティブは君が取ろうとしていて、ぼくはただそれに付き従っているだけだったような気がする。それじゃあ、だめだよね。

それだから、もう一度会話をしようなんて虫がよすぎるのはわかってる。でも、やっぱりここから始めるしかないんじゃないかって思うんだ。そう、ここに書いているようなことも含めて、話し合わなければならないんだと思うんだ。

今までは会話のテーブルに君だけが着いていて、ぼくはおずおずとテーブルに近寄るんだけど席には付けないって有様だったんじゃなかろうか。

今度はきちんと席に付きます。もう、逃げません。だから、もう一度、会話をしましょう。いや、してください。

×月×+12日

今日、夕食の時にワインを出した意味はわかったわよね？「乾杯」っていう意味も、わかったよね。

きっと、まだ何も解決していないんだと思うんだ。解決への出口が存在するってことがわかったって、それだけのことなんだ、たぶん。

ここから先は「交換日記」という形で進むことはできないと私は思う。これを書くのって、いまだってアキくんは私のすぐ近くにいるわけだけどさ、とっても孤独な作業だよね。書くときって、どうしたって一人になるしかないんだよね。

でも、心の中へ深く深く潜っていく作業はこのくらいにしといた方がいいような気がするんだ。だって、「私たち」の問題なんだもん。二人で探っていかなきゃならない筈だよね。

まだまだ会話はぎこちないし、言葉が、そして心が、うまく伝わっているようには思えない。

今度は二人で一緒に、同時に、探っていかなければならないんじゃないのかな。

私のいうこと、わかる？もしわかってくれたなら、このファイルをフロッピーに落してハードディスクから削除してください。

この「交換日記」はこれで終わりにしましょう。

そして、いつかまた同じような困難に出会ったとき、もう一度このファイルを二人で見ることにしましょう。

私の心がアキくんに伝わりますように。

某月某日

きららで〜す。

うーん、困難に出会ったわけでもなんでもないんだけど、ちょっと読みたくなって読んでしまいました。

すっげー恥ずかしー。思わず赤面しちゃったよ。きっと、私たち、すっごくまじめにやり取りしてたんだねって思う。

きっと、このファイルを二人で読むなんて日は来ないと思うな。ときどきこうやってひとりで読むのはいいけど。二人で読むのは気恥ずかし過ぎるぜ(笑)。