×月×日
交換日記っていうのは、君らしい、いいアイディアだと思ったよ。それに、ぼくは交換日記なんてしたことがなかったからとても新鮮だよ。
さて、どこから始めたらいいのかよくわからないのだけど、周囲からだんだんに攻めていくのはなんだか埒が開かないような気がする。だから、思ったことをどんどん書いていくことにするよ。
ほたるちゃんが死んでしまってから、きみはあまり落ち込んでいるようには見えなかった。だから、ぼくは少しだけ安心していた。それは、きみが落ち込んでいなくてよかったってことじゃなくて、きみが落ち込んでいるのを隠せないほど落ち込んでいるわけじゃないって思ったからだ。
きみがたいへんなショックを受けていたことはわかっていたよ。この一年というもの、家の中にはこれまでにないペースでいろいろな物が増え続けた。きみは美しい食器だとか、絵画だとか、花瓶だとか、テーブルクロスとか、テーブルとか、ソファだとか、いろいろなものを買ってきた。そうすることできみの心の隙間が少しでも埋まるなら、とぼくは黙っていた。きみがそれまで乗っていた車を売り払って、紺色のスポーツカーを買ったときだって黙っていた。
でも、それだけじゃ足りなかったのかなって思う。それと、ぼくはいつでも物分かりがよすぎるのかなって気がしなくもない。もちろん、「物分かりがいい」っていうのはきみの気持ちをじゅうぶんに理解しているということじゃなくて、きみのすることを黙って見ていることができる、というくらいの意味だ。
でも、それはちょっと違うのじゃないかなって、思い始めたんだ。
黙っていたんだけど、こないだきみと史隆が一緒にいるところを見た。ぼくはそれを見て、きみがそうしたいならそれもいいかもしれないと、そのときは思ったんだ。きみと史隆はほたるちゃんを失ったという体験を共有しているのだから。そりゃ、ぼくだってほたるちゃんを失った。でも、きみや史隆の経験はそれとはぜんぜん次元の違うものではないかって思ったんだ。
でも、告白すると、ぼくは史隆に嫉妬していた。きみと史隆の共有しているものを共有できないのが悔しかった。もちろん、それは馬鹿げたことだ。わかっているのだけど、ぼくはとても悲しかった。
つまらないことばっかり書いて、ごめん。今日はここまでにします。返事、待ってます。
×月×+1日
うーん、言い出したのは私なんだけど、なんか、緊張するなあ。それに、私も交換日記なんてやったことないや。ほたるとじゃ交換日記なんてしたってしょーがなかったもんね。
でも、こんなの書いているのに、生活はいつもとぜんぜん変わんないでしょ？なんか変な感じだね。二人しかいないから、誰のことも気にせずに、いくらでも話し合えるっていうのにね。でも、それがよくないのかもね。
なんか、こうして書くことによって、そういう感じから少しでも離れられればと思って。もしかしたらきついことも書いちゃうかもしれないけど、そうしたらごめんね。どのくらいかかるかわからないけど、お互いに通じ合ったと思ったら、交換日記を終わりにして乾杯しようね。
でね、はっきりいっちゃうんだけど、嫉妬するアキくんは好きくない。なんかそういうのってすごくヤだ。あと、変に理屈こねたり、私と史隆が共有しているものがどうとか、そいうのもすごくヤだ。確かに、史隆と飲みに行ったことを言わなかったのは悪かった。でもさあ、それは疚しいからとかアキくんを傷つけそうだからとか、そういうことじゃないのよ。ただ、言いそびれちゃっただけ。なんかさあ、史隆と飲みながらほたるのこと話したりしてたらさあ、すごく、気持ちが沈んじゃってさ。もっと楽しく飲んでたんならさあ、「きょう、史隆と飲んでたんだ」って簡単に言えたと思う。でも、飲んでるうちに、どんどんどよ〜んとしてきちゃってさあ。史隆も、あのよくしゃべる史隆が、最後の方にはぜんぜんしゃべんなくなっちゃってさ。
うーん、でも、それって私と史隆の間で共有しているものがあるっていうことなのかなあ。もしかしたらそうかもしれない。ごめん。
でも、それは結果としてそうなっちゃったって感じかなあ。とにかく、疚しいって感じじゃないのよ。今度からはちゃんといいます。
でも、拗ねるのはやめようね。私たちの歳で拗ねるのは、ちょっとかっこ悪いと思う。
言いたい放題で、ごめん。 愛してるよxxxx
×月×+2日
なんだか、交換日記というよりもメーリングリストみたいですね。本当は日記帳とかノートを買ってきて、それに交互に書き込むべきなのかもしれないですね。
でもまあ、そんなことはどうでもいいのですが。
今日は仕事が忙しかったので、眠くて仕方がありません。だからへんな文章になっちゃうかもしれませんけど、どうか許してください。
きみのいうように、二人だけでいくらでも話せるっていうのはよくないのかもしれない。でも逆に、二人だけだから話せないっていうこともあるような気がする。そりゃ、二人でものすごく盛り上がることもあるけど、いつもそういうわけじゃないよね。
いま、眠いから思うのかもしれないけど、嫉妬するぼくのことはぼく自身も好きじゃないような気がします。いま、すごく眠いから、嫉妬してた気持ちすら思い出せません。嫉妬するぼくなんて、最低だ。もう、共有とか、そういうことも、どうだっていいよ。すごく眠い。
いつもなかなかいえないけど、きみのことをすごくすごくすごく愛してます。夫婦愛だかなんだかしれないけど、ぼくはきみのことを愛してます。
ああ、眠い。お休み。って、同じ部屋で眠るってのにね。
×月×+3日
こんなこと書いちゃいけないのかもしれないけど、なんか、「愛してます」っていうのが嘘っぽい。んーとね、嘘じゃないってのは、わかるよ。面と向かっては言えないけど、いつもアキくんの愛を感じてるから。かーっ、照れるぜ。
でも、眠い眠いってのはリアルだね。あたりまえか。
んーとさ、嫉妬ってのもなんかヤなんだけど、仕方がないことなのかもしれないね。シェイクスピアの「オセロ」だっけ？嫉妬で奥さん殺しちゃうって話し。あ、別にアキくんが私のこと殺しそうだとか、そういうことを言ってるんじゃなくって。それに、夜だから思うのかもしれないけど、アキくんに殺されるなら本望だって思わなくもない。でも、そのときはすぐに後を追ってね。でなけりゃ、いや。
でさ、嫉妬って、なんかさあ、コンプレックスと関係あるんじゃないかなって思うんだよね。オセローはムーア人という設定だけど、それはたぶん彼が異邦人で、それゆえなんらかの意味で妻のデスデモーナに対してコンプレックスを抱いていたのかもしれないなって思っちゃうのよね。たぶんさ、他の人と違うっていうことは、よっぽど強力な自信がない限り、コンプレックスに繋がっちゃうんじゃないかって思うんだよね。
そーすると、アキくんもコンプレックス持ってるのかなあ。でも、アキくんが私に気後れするところなんてないよね。
ああ、なんかひどいことばっかり書いてる！
私なんかさあ、衝動買いで車買っちゃったりするようなバカヤロだと思うんだよね。でもアキくんはそういうことはしない。アキくんのそういうところ、実は尊敬してる。私にはできないから？そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。
でも、アキくんのそういうところは好き。
アキくんのヤなところってあるのかな？んーとね、嫉妬するとことか、すぐいじけるとことか。
アキくんさあ、もっと自分に自信持ちなよ。たぶん、鼻持ちならない奴って思うくらいでちょうどいいんじゃないのかな。
たとえばさあ、私の方が先に死んじゃうってことも可能性としてはあるわけじゃん。もちろん私が死んだら悲しんで欲しいけど、ずっとはヤだ。一年間喪に服してくれたら、そのあとはどうか恋をしてください。私のことを考えてくれるのなら、どうかそうしてください。
×月×+5日
ごめんなさい。一日空いちゃいました。ご存知のとおり、書く暇がなかったわけじゃないのです。きみの分を読んだら何を書いたらいいのかわからなくなっちゃったのです。
それで一日、といっても仕事の合間とか、行き帰りの電車の中とか、そういう時間にいろいろ考えたのですけど、やっぱりどういう返事を書いたらいいのかよくわかりませんでした。
と、ここまで書いて数日前の自分の書いた部分を読んでみたら、なんか、文体が変わっちゃってますね。最初は「〜だ」みたいな書き方してたのに、「〜ます」になっちゃってますね。
文体をもとに戻します。
きみの指摘どおり、ぼくにはたくさんのコンプレックスがある。コンプレックスの塊といってもいいかもしれない。あ、急に思いついたのだけど、「コンプレックスの鬼」っていいかもしれないね。よくないか。
とにかく、ぼくはコンプレックスの鬼なのだと思う。それはきみの指摘どおり、自信がないからかもしれない。いい歳して、ぼくはいまだに自分がマザコンだと思うし、それはつまり自分で自分を支えられないということなのだと思う。
それはとても恥ずかしいことだと思う。
でもね、コンプレックスと嫉妬っていうのは確かに関係があるかもしれないのだけど、それともちょっと違うんじゃないかなって思わないでもない。
コンプレックスがなくても、その人に対する思い入れが強いと、そういうことになってしまうんじゃないのかな。ということは、ぼくはきみに対してものすごく思い入れがあるのかもしれない。
これって変じゃないかと思うんだけど、いまだにきみのことを考えると、切ない気持ちになることがあるんだ。ずっと一緒に暮らしていたら、そういうことを感じなくなるんじゃないかなって思っていたんだけど。まあ、結婚する前と比べたらそう感じることは少なくなったと思うんだけど。
でも、きみが先に死ぬかもしれないって書いたのを読んだら、その気持ちがわき上がってきて、胸の奥が苦しくなって、それから、嗚咽の予感がした。
でもこれは、きみのことを愛しているっていうことなのかな？ぼくにはよくわからない。
嫉妬は、できればしたくないと思う。嫉妬は苦しいし、それに、嫉妬ってきみのためというよりも嫉妬自身のためにあるような感じなんだ。嫉妬の世界にはきみはいなくて、ぼくだけがいる。だから、とても孤独な世界でもあるんだ。
でも、それでも嫉妬してしまうんだ。果たして努力して嫉妬しなくなることができるんだろうか。
あと、もしきみが先に死んでしまっても、恋はしたくありません。もう、恋はきみだけでじゅうぶんです。もう、恋はいりません。
×月×+6日
ねえ、気を悪くしないでね。と最初から断るからには、気を悪くするようなことを書くんだけどさあ。
ねえ、こういうのってすごく変じゃないかなあ。最近ただでさえ会話が少なかったのに、これを始めてからというもの、ぜんぜん会話がなくなっちゃったと思わない？なんかおかしいよ。
それにさ。愚痴るよ。それにさ、アキくんは大学で会話するからいいよ。誰ともしゃべらない日ってないでしょ？
でもさ、私はアキくんしか、しゃべる相手はいないんだ。会ってくれるような友達も、電話友達もほとんどいないんだ。知ってるでしょ？まあ、強いてあげれば史隆がそういうのにわりと付き合ってくれるんだけど。
そりゃあね、私が仕事やめちゃったのもよくなかったって思う。でも、あのときはどうしても続けることができなくなっちゃったんだ。
まあね、退職金で車買っちゃったってのもバカだったかもしれない。
あれ、もしかしたらアキくんさあ、こういう私に愛想尽かしてきちゃったのかなあ。
でも、愛してるとか、恋は私だけでじゅうぶんとか、歯の浮くようなことばっかり書いちゃってるけど。それとも、こういうことを書くのって、愛想尽かしの裏返しなのかなあ。心が離れてきちゃってるからそういうことを書くのかなあ。
あ、またひどいこと書いてる。私って、ひどい奴だよね。自分でも思うよ。こういう奴のために嫉妬なんかするの、やめなよ。
なんて自分で書いてどーする。
なんかさあ、アキくんの書いてることって空回りしてるよ。ほんとにそう思ってるのかなあ。アキくんの愛を疑ってるってことじゃなくてさあ。アキくんの愛が空回りしてるっていうか。
もっと、会話しようよ。
×月×+8日
ごめん、うまく会話できなかったね。
半年前までは、いくら時間があっても足りないくらいたくさん話をしていたのに、どういうことなんだろう。
うん、原因はぼくにある。わかっているんだ。
明日から三日間、学会で家を空けるわけだけど、そのことがいい方へと転べばいいなと思ってる。