（２）

でね、宿舎に戻ってお風呂に入って布団敷いて。なんか、おとーさんとママと一緒に移動教室に来てるみたい。でも、おとーさんもママもビールなんか飲んでるから、不良だと思う(笑)。

「おとーさんも同じ部屋で寝るの？」

「うん。嫌？」

「うん」

うなだれるおとーさま。

「ウソウソ。たまにはいいよ。いつもはヤだけどね」

おとーさんはちょっとだけ笑った。あんまり嬉しくないのか？娘はあと二年もしたら結婚できる歳になるんだぜ。そのへんのことをきちんと認識してくれないとね。

わたし達は布団の上に座ってトランプをした。なんか間抜けだけど、楽しい。まだまだ子供だね。

それから布団に潜り込んでたわいもない会話を続けているうちに眠くなってきちゃったのだった。まだ夜の十時だというのに。でもわたしは眠るわけにはいかなかった。だって、どうしてわざわざここに泊まりに来たのかってのをまだ聞いてなかったから。でも、おとーさんは一向に話してくれそうになかった。仕方がないのでこちらから水を向けた。

「ねえ、どうしてここに泊まることにしたの？」

並んで壁に寄り掛かっていたママとおとーさんは顔を見合わせた。おとーさんはわざとらしく咳払いをした。テレビドラマみたいだ。きっとおとーさんもそう思ったのだろう。頭を掻いたりしている。いま明かされるこの旅行の秘密。おとーさんは新しい缶ビールの蓋を開けた。ぷしゅっ。

「昔々」

おとーさんはとつとつと話し始めた。

「まだひすいが小さかった頃･･････」

おとーさんの言葉は早くも途切れがちだ。ママがおとーさんを肘で小突く。

「おとーさんはまだ大学院生だった」

「知ってるよ」

「うん。そうだね。ええとね、それで私が就いていた先生のゼミの合宿があって、それに参加することになったんだ」

「それで？」

「あのね、あたしも一緒に行ったのよ」

ママがきまり悪そうに付け加えた。

「史隆って女癖悪いじゃない？」

ママはおとーさんの方をちらと見た。おとーさんは笑ってごまかした。

「でね、そのときも『好きな子がいるな』って直感があったの。なんか、今度合宿があるから三日ほど留守にするね、っていったときのさり気なさが、すごくわざとらしかったのよ。その行き先がここだったの。でね、あたしは一計を案じたってわけ。昭彦くんに、なんとか部外者が泊まれないかって。そしたら原則としてそれはできないけど、学生の名前を借りて参加することはできなくもないって。でね、昭彦くんは史隆と同じ日に彼の研究室の合宿の予定を組んでくれたの」

ママはまたもやおとーさんの方をちらとみた。おとーさんはビールを一口飲んだ。

「でね、ある女の子の名前だけ借りて、あたしがその合宿に参加したってわけ」

「歳が違うじゃん」とわたし。

「余計なことを。その頃のわたしは若く見えたのよ」とママ。

「いまでも若く見えるけどね」とわたし。

「ヤな娘。どうせもう若くないですよ」

ママはふくれっ面をした。

「でね、あたしはこの地で合流して、女の子達の部屋に入り込んだ。昭彦くんは誰だかのお姉さんですってことで彼の先生に話を通したらしい。つまりね、文学に興味があるから合宿に参加していろいろ話を聞きたいって。女の先生だったんだけど、いたずら好きな人らしくてね、『うちのゼミの学生』ってことにしてくれた。いろいろ話をしたけど、すっごく面白い人だった。そのあともときどき大学に遊びに行ったりしてね。

それから、同じ部屋になった女の子達ともいろんな話をした。なんか、学生に戻ったみたいですっごく楽しかった。

さて、その日はここも割と混んでてね、なかなか史隆のことを見つけられなかった。でも私は食堂で食事中の史隆を発見した。でも史隆は私に気付かなかった」

「だってさあ、まさかほたるが来てるなんて思ってもいなかったから」

「いいのよ、きみはそういうやつだから。それでね、翌日の史隆の予定を昭彦くんに探ってもらった。昭彦くんが同じ日にそこへ来てることは史隆も知ってたから怪しまれなかったみたいだし。

でね、二日目の午前中は学生の研究発表、午後は自由、夜はまた研究発表、って情報を入手したの。その自由時間ってのが怪しいなって思った。それで、その日の午後史隆のことを尾行することに決めた。史隆の車はあのボロ車だったから、後を付けるのはわりと簡単だったし。でもこちらはバレないように念のためにレンタカーを借りて」

「免許持ってないでしょ？」

「運転してたのはきららよ。で、さらに念を入れてサングラス掛けて帽子被って」

「かえって怪しくない？」

「うるさいわねえ。いいのよ、史隆にばれなきゃ」

「それで、ばれなかったの？」

「もちろん」

おとーさんは力なく笑った。

「でね、史隆の車を尾行したのよ。車に乗ってたのは史隆だけだった。どこで落ち合うんだろうかってね。史隆はメインストリート沿いの駐車場に車を停めた。あたしはきららに車から降ろしてもらって史隆の後を追った。

遠目に見ても史隆は浮き足立っていた。あたしはちょっと緊張してきてた。さあ今度こそ浮気の現場を押さえてやるぞってね。史隆は地図を片手に別荘地の中へと踏み出した。メインストリートほどじゃないけどそのあたりも結構人が多くて、史隆を見失わないようにするのは大変だった。だって尾行なんてしたことなかったんだもん。で、小さな川を渡って、きれいなホテルの横をすり抜けて、石畳の細い道に出た。そのあたりまで来ると人通りはずっと少なくなって、尾行は簡単になっていたけど見つからないように気を付けるのがたいへんだった。

そのあたりはほんとうに静かな別荘地で、それこそ鳥の声くらいしか聞こえて来なかった。史隆は道沿いの低い石垣に腰掛け、地図と一緒に手に持っていた本を読みはじめた。そこから五十メートルくらい離れたところに誰かの別荘の入り口になっている細い道があって、石垣もそこだけ切れていて、隠れるのにもってこいだった。あたしそこで史隆の様子を窺うことにした。

しかし、十分経っても二十分経っても史隆はそこに座ったままだった。それに、人を待っている人に特有の苛立ちも見えなかった。あたしは何かが変だって思いはじめたのだった。

で、とうとう我慢できなくなって、帽子とサングラスを取って石垣の上によじ登って史隆の背後から接近したのだった。そして後ろから『何読んでるの？』と声を掛けたってわけ。そしたら史隆は飛び上がらんばかりに驚いて、手にしていた本を落とすと『なぜ？なぜきみがここにいるんだ？』って。あたしは『待ち合わせ？』ってかまを掛けてみた。でも、史隆の答えは『なにそれ？』だった」

「ここから先は私が話そう」

おとーさんがおずおずとそう言った。ママは「そうね」と言った。

「ほたるにもずっと言えなかったんだけど、私は『Ｋ村』を舞台にいろいろな小説を書いた、某作家のファンだったんだ」

おとーさんはそう言った途端に真っ赤になった。

「『Ｋ村』ってそういうことだったんだ」

「うん」

「で、いまもファンなわけ？」

「･･････うん」

「別に恥ずかしいことじゃないと思うよ」

ママがフォローする。

「でも、なかなか人には言えないじゃないか」

「そうかなあ？」

「そうだよ。昭彦にもよく馬鹿にされたし。でね、あのときはゼミの合宿にかこつけて、本当は『Ｋ村』に来たようなものなんだ。それで、二日目の午後はあの火山を見に行くとかなんとか理由を付けて、長年の望みをかなえようという、そういうことだったんだ。だからね、そわそわしてたのもそれなんだ」

「ほんとかなあ。いまでもちょっとだけ疑ってるかも」

「ほんとだって！でさ、ほたるに声を掛けられた場所は、『幸福の谷』と呼ばれている小さな谷で、あのとき読んでいた本の舞台にもなっていた場所なんだ。きっといつか訪れるぞって高校生の頃からずっと思ってたんだ」

「ふうん。なんだかよくわからないけど」

「それで、どうなったの？」

「そのときはじめて某作家のことが好きだとほたるに告白したんだ。でも、ほたるはその作家の名前しか知らなかった。だからどうして私がそのことをなかなか話せなかったのかをかじゅうぶんに理解しては貰えなかった」

「だってあたし、あんまり本読まないもん。でもさあ、ほんとをいうと、子供の頃からずっと一緒で結婚までしたってのに、史隆のそういう部分を知らなかったっていうのはすごくショックだったんだよ」

「だって、必死で隠してたから。ロマンティックな小説を読みながら涙を流す私を想像できるかい？って聞いたら、『想像できる』って大笑いされたんだよ。覚えてる？」

「うん。だって、すごくおかしかったもん」

わたしはおとーさんの本棚の「地形学辞典」の箱の中にその作家の文庫本が収まっているのを知っていた。どうしてその文庫本がそんなふうに隠されているのかずっと疑問だったのだが、ようやく謎が解けた。わたしは微笑まずにはいられなかった。

「ほら、ひすいまで笑って馬鹿にする」

「そうじゃないって。愛してるよ、おとーさま」

「･･････それから、ほたるがなんとこの宿舎に泊まってるって聞いてすごく驚いたんだ。身分を偽って宿泊してるって。しかも昭彦の手引きで。きららも一枚噛んでいるという。私はしてやられたって思ったね。昭彦も、ほたるも、きららも、やるときにはやるんだって。もう、誰のことも信じられないって思ったね」

「それは史隆が信用をなくすようなことをするからよ」

「だから、それは誤解だって」

「ほんとにそうですかね」

「まあまあまあ痴話喧嘩はいいから。それで？」

「でね、二人で一緒に『Ｋ村』を歩きまわっているうちに気付いたのは、二人で旅行に来たことなんて一度もなかったってことだったんだ。それはとてもショックなことだった。なにしろ、ほたるとは小さい頃からずっと一緒で、おじいちゃんやおばあちゃん、きららなんかと一緒に何度もあちこち出かけてたから、気付かなかったんだね。まあ、新婚旅行に行かなかったことはずっと気になってたんだけど」

「そう、あれはあたしもショックだった。だからあの午後は『これを二人の新婚旅行にしましょう』ってことにして、あのあたりを歩き回ったのよね」

「そう」

「なるほどね。じゃあ、今回の旅行は二人の『感傷旅行』ってわけ？じゃあ、わたしはじゃまものなんだね」

そう言うと、二人は下を向いてしまった。おとーさんは下を向いたまま、ぼそぼそと付け加えた。

「ほんとはね、この夏ほたるがずっといなくて家族旅行ができなかったから、秋のうちにどこかへ一泊くらいで出掛けようかってことを話してたんだ。でね、その話をしているうちにあのときのことで盛り上がっちゃって、それならいっそそういう旅行を企画するのはどうかなって。で、それを実行しちゃったってわけ」

「で、あたしの予定がどうしても休日と合わなくて」

「そうそう。それで平日にやってきたってわけ」

「あたしたち、大人げないよね」

「うん」

二人はすっかりしょげ返ってしまった。

･･････わたしは二人の話を聞いて、あきれた。そして結構ムカついた。だけど、この二人のことはどうしても憎めない。いや、憎らしいんだけど、憎みきれない。実の親だからかな？とーにーかーくー、このアダルトチルドレンな人達はどーしよーもない人達なんだけど、わたしが見てないと駄目みたいで。

まったく、どっちが親なんだか。

友達は、わたしの両親をうらやましがる。若くて、物分かりがよくて、友達みたいだって。確かにそれはそうかもしれない。それに、この人達は自分たちの愚かさを一応知っている。ただ、直せないだけだ。たぶん、死ぬまでこのままなのだろう。

わたしは夕方すみれ色の空を見上げていた自分を思い出した。たぶんあれがわたしの運命なのだ。

「二人とも、まっすぐわたしのことを見て」

わたしは布団から起き上がると、二人に向かって正座した。二人も、わたしに倣って正座した。でも、俯いたままだ。

「さあ、まっすぐわたしの目を見て」

二人はおずおずと顔を上げた。それから、眩しいものでも見るようにわたしの顔を見つめた。

わたしは居住まいを正して言い渡した。

「娘に謝らなきゃならないようなことは今後は慎むように」

二人はぼそりと「はい」と答えた。もういいや。わたしは頬がゆるむに任せた。すると、二人もほっとしたような顔をして、それから子供みたいにめそめそ泣き出した。わたしは二人を抱きしめて、赤ちゃんをあやすみたいに背中をぽんぽん、と叩いた。

「明日は、『幸福の谷』に連れていってね」

二人ともこっくりと頷いた。

ああ、長い一日がこれで終わった。やれやれだ。出来の悪い両親を持つ娘はたいへんなのだ。

おやすみなさい。