（３）

「これからデートなんだけど、付き合うか？」

「ごめんだね」

昭彦はあくびをしながら答えた。十六号は今晩も渋滞している。

「まあ、そういわずに」

「そういわずに、どんな答えをすればいいんだ？」

「『ＯＫ』とか」

「なんでおれがお前のデートに付き合わなきゃならんのだ」

「いいじゃん、それともデートする相手がほかにいるとか」

「『ほかに』？いったいおれにどんな相手がいるというのだ」

「僕」

「・・・・・・さっきのホテルに寄ればよかったな」

「気がつくのが遅すぎるよ。引き返すのもちょっとね」

とある駅できららを拾う。

「ねえ、どーしたのこれ。壊れてるよ！」

「ちょっとね」

「いったい何があったの？」

「まあ、ちょっと」

「ちょっと、ってなに？」

「崖から転落したのさ」

「ふざけないでよ！まじめに心配してるのに！」

「なんだ、デートの相手って、奥さんじゃないか」

「ほかにどんな相手がいるっていうんだ？」

「おれ」

「さっきのホテルにしけこめばよかったな」

「いやあ、まったく」

「あのさあ」

「さっきのホテル、雰囲気よかったしな」

「いやあ、まったく」

「あのさあ」

「何？」

「あたしさあ、奥さんじゃないよ、この人の」

「うそばっかり！」

「うそばっかり！」

「ちょっと、やめてよ！そーゆーのって、なんかヤだ」

「わかった、やめるよ」

「ちょっと待った、なんなんだよ？なにについて話をしているんだ？」

「だから、あたしはこの人の奥さんじゃないって」

「実はそうなのだ」

「わけがわからん」

「だから、この人の奥さんはあたしの妹」

「ということはあなたはほたるさんではない！」

「そーゆーこと」

「つまり、あなたはほたるさんのお姉さん」

「そーゆーこと」

「でも、おれにはあなたとほたるさんの区別がつかない」

「まあ、一卵生双生児だから」

「小学校の同級生に一卵生双生児がいたけど、そんなに似ていなかったと思う」

「あたしたちだって、二人並べて比べればそんなに似てないと思う」

「というのは嘘で、実はこの人は僕の奥さんです」

「ちょっと、やめてよ！怒るよ、マジで」

「わかりました。やめます」

「おいおい、もしかしたらおれを担ごうっていうんじゃないのか」

「いや、担ごうとしたらこの人に怒られたのでやめます」

「うぅ、混乱してきたぞ」

「だから、単純なことよ。あたしはほたるの姉のきららといいますよろしくね」

「はあ」

「でもほたるを差し置いてこんなことしてるってバレたら、あの子怒るんじゃないの？」

「たぶんね」

「告げ口してやろう」

「勘弁してください」

「じゃあ、今晩は君のおごりだ」

「最初から、覚悟しています」

すっかり暗くなった市街地を車でウロウロしているうちに、あそこがいいとかこっちがいいとか、同乗者は勝手なことばかりぬかすのだが、ここはひとつデニーズで手を打つのはどうだろうかといったら、二人とも二つ返事で承諾したのだった。デニーズならいくらしゃべってもあんまり顰蹙を買わないだろうし、酒を飲む人間と飲まない人間が同じテーブルについていてもあまり問題も生じないだろうということなのだ。

「三名様ご案内致します」とたどりついたテーブルの隣では、二人のおやじが二人の若い無国籍風の女とミックスされた言語で声高にしゃべっていた。そしてもちろんこちらも負けずに声高にしゃべったのだった。

「あなたはほんとにこいつの奥さんではないんですか？」

「ええ、ほんとうよ」

「本当の本当に、ほんとですか？」

「ええ、本当の本当に、ほんとよ」

「なんだか、おれは担がれているような気がしてならないんですよ。だって、こいつってそういうやつでしょ？」

「そうね。あたしもそう思う」

「こいつ、うそつきだから。あ、すんません、生中ひとつ」

「そうね、あたしもそう思う。生中もうひとつ」

「かしこまりました。生ビール中ジョッキ二つですね」

「『津軽娘妄想恋愛事件』って知ってます？」

「えっなにそれ？初耳。おしえておしえて」

「こいつ、こんな顔してるのに、結構女の子にちょっかい出したりするんですよね。おい、殊勝な顔して和風ハンバーグ食べるんじゃない！」

「うんうん、わかるわかる」

「で、去年後輩の女の子にちょっかい出して、振られたんですよ。で、だいぶその子に付きまとったりして、十年後だったらストーカー呼ばわりされているところですよね」

「おいおい、結婚してからもそんなことしてんのかよ」

「いててて」

「まあまあ。・・・・・・ねえ、君はほんとにこいつの奥さんじゃないんですよね」

「だから違うってば！もし本物の奥さんだったらとっくに絞め殺してるよ」

「それもそうだ」

「まああたしはこいつのねーちゃんみたいなものよ」

「それってなんだかあやしい」

「でしょでしょ？」

「それで、その女の子とのあいだになんにもなかったのに、勝手に話をでっち上げて、まわりの連中にしゃべった」

「で、どんな話をでっち上げたの？」

「それが、その子のからだがどーのとか、そういうのなんですよ」

「あんたって！ほんっとに最低の男ね！あたしがほたるの代わりにぶっ殺してやろうか？」

「でも、誰も本気にしなかった。だって、こいつがそういう奴だってことはみんなよく知ってたから」

「おやまあ！大学でもすっかり本性を知られちゃったのね！よくもまあ大学院に進学する気になったもんだわ！」

「大学院は勉強するところだから」

「誰も本気にしなかったから、進学できたんですよ」

「質問。ええと、お名前は？まだ聞いてなかったわね」

「さっきいいました」

「ゑ」

「おい昭彦、こいつはこういう奴なんだよ」

「お前まだいたのか」

「言いたい放題言いやがって。おいきらら、言っとくけど、こいつは僕とは別の学科なんだ。だから、こいつのいうことを真に受けてはいけない」

「ちょっと待て、学科間情報網を侮ってはならなーい」

「生中お二つでーす」

「真に受けるなってことは、さっきの女の子との話は事実ってわけ？それってサイテーじゃないの！この浮気男！殺してやる」

「おい！苦しい、やめろ！」

「・・・・・・きみさあ、ほんとはこいつの奥さんなんじゃないの？」

「バレた？ほんとはそーなのよ」

「おい、話をややこしくするな！」

「おい、史隆、本当のことを言え！」

「僕は嘘をついてはいない！」

「『僕は嘘をついてはいない』と嘘つきが言った！」

「クレタ島の住民のような奴！」

「そこまでいうか？」

「ところで今日は男二人でドライブ？侘しいわねえ」

「それを言わないでよ！おれさあ、大学院に行くって彼女にいったら振られちゃってさあ。『そんなはずじゃなかった』って！」

「そんなはずって？」

「さあ。給料取りになるはずってことなんじゃないのかなあ」

「それで史隆に慰めてもらったってわけ？自分で慰めてりゃよかったのに」

「ちょっと奥さん！それ下品ですよ！」

「だから奥さんじゃないって」

「下ネタいけるんですか？」

「そんなあ、あたし、お上品だもの」

「何をいまさら」

「あんたは黙ってなさい」

「それで、さっき県道沿いにいいホテルがあって、二人で入ろうかって相談してたんですよ」

「入ればよかったのに」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「あ、じょーだんね、いちおう。それで、ドライブってどこへいったの？」

「Ｋ川流域」

「卒論でやってたとこじゃなかったっけ。いまさら何しに行ったの？」

「感傷旅行ですよ」

「どこが。おれ、こいつが一緒に遊びに行かないかっていうから、まあ暇だったしいいよって言ったんだけど、あれのどこが遊びだよ」

「巡検！」

「そうそれ！奥さん詳しいねえ」

「だから奥さんじゃないっちゅーに」

「どーしてそんな言葉知ってるの？」

「父親が大学で地質学を教えてるから」

「お父さん、大学教授？」

「うん」

「それでダンナが地形学者の卵っち」

「だから、こいつはダンナじゃないって。あんたもしつこいね」

「だって、おれまだ疑ってるもん。そうですかって、簡単には信じられないもん」

「みんな史隆のせいだからね」

「どーしてそこで僕に振る」

「だってさあ、昔あたしたちと一緒にＹ川行ったときのこと覚えてる？」

「まあね」

「昔っていつ頃？」

「小学生の頃」

「ってことは幼馴染ってやつですね。気の毒に」

「何が気の毒なものか！」

「でさあ、あのとき、『あの崖のところに見えるのはなんでしょうか』っておとーさんに言ったの覚えてる？」

「覚えてるもんか」

「そう、あんたってそういう奴なのよね。おとーさんもそれがなんだか気になるもんだから、じゃあみんなで見に行こうかって言ったら、ほたるが嫌だっていって、そしたらあんたは、じゃあぼくもここにいますって言ったのよ。で、あたしはやっぱり気になるからおとーさんと一緒に崖まで行ったのよね。その、崖の途中に見えたのは木の実の化石がいくつも固まったもので、それはそれでおもしろい発見だったんだけど、崖の上からあんたたちを見たら、なんだかいちゃいちゃしていて、あたし、すごく腹が立ったんだよ。そう、あんたはあたしたちを追っ払った。そして、ほたるといちゃいちゃしたかったんだ！」

「覚えてないよ」

「そう、あんたはそういう奴さ！」

「まあまあ、ちょっと落ち着いて。やっぱりきみはこいつの奥さんじゃなかったんだね。それにきみはこいつにはもったいないよ」

「てことは、妹はこいつにはもったいなくないってこと？」

「いや、そういうことじゃなくてさあ、あのさあ、言いたいことわかるでしょう？」

「うん、わかる。すごくわかる。とてもわかる」

「じゃあ、もっと飲もう！」

「賛成！」

「おねーさん、生中追加」

「・・・・・・かしこまりました」

道路は空いていた。車はすいすい走る。少し窓を開けると夜風が気持ちいい。きららは後ろの座席で眠っている。昭彦は無事に帰れただろうか。ほたるはもう寝ただろうか。この時間だから、たぶん寝ているだろう。今日は起きているところを見なかったな。

こんなことは度々だ。こうやって、駄目になっていくのだろうか。いや、夫婦がってことじゃなくて、自分が。

家の前で、きららを起こす。きららは寝ぼけまなこをこすって「もう着いたの？」なんて言っている。いい気なものだ。しかし、僕も同じくらいいい気なものだと思うので、人のことは言えない。助手席を倒して、きららを引きずり出す。なんだかふらふらしている。酔っ払っているのか。それとも眠いのか。

「じゃあ、また」

「ちょっと待った！」

きららは僕の腕をつかんだ。そしてわざわざ正面にやってきて、じっと僕の目を見た。

「ほたるのこと、大事にしないと、殺す」

そしてぷいと後ろを向くと、振り返らずに家の中に消えた。

ベレットを駐車場に入れて部屋に戻ると、ほたるはまだ起きていた。暗い中でビル･エヴァンスを聞いていた。

「ただいま」

「お帰りなさい」

「ひすいは？」

「寝てる。ねえ、この会話ってくたびれた中年みたいじゃない？」

「そうかな」

「そうだよ。ねえねえ座って」

僕はほたるの隣に座ってビル･エヴァンスを聴く。そのうちどうしようもなく眠くなってきて、うつらうつらしながら、どういうわけか「レイン･ソング」を聞いているような気がして、どうして十年以上も経っているのに、ほたるとの最初のキスのことをこんなにはっきり覚えているんだろうかって思ったりしていたのだけど、隣にいるほたるには絶対にこのことを悟られてはいけないと思うのだった、どういうわけか。

ふと気がつくと「マイルストーン」が終わろうとしていた。

「ビル･エヴァンスの音って、あの姿勢で弾かないと出ないんだよ」

「ふうん」

僕はあくびを噛み殺しながら相槌を打つ。

「ねえ、やっぱり私達ってくたびれた中年みたいだよ。気の毒に、まだお若いのに」

「今日きららに会った」

「知ってるよ。電話で言ってたもん」

「なんだ、知ってたんだ」

「私以外の女の人と会うの、嬉しいでしょう」

「相手がきららじゃね。それに昭彦もいたし」

「あのさあ、ずっと前から思ってたんだけど、史隆と昭彦くんってアヤシイよね」

「当事者に向かってそんなこと言うか？」

「ねえ、ほんとのところ、どうなの？」

「どうなのって・・・・・・別にアヤシくなんてないよ」

「そうかなあ。アヤシイと思うけどなあ」

「あいつとはただの友達だって」

「あらそう。つまんないの」

「僕にほたる以外の相手がいた方が嬉しい？」

「んなわけないでしょ」

「ねえ、ビールでも飲まない？」

「いいよ」

「かんぱーい」

「かんぱーい」

「ああ、うまい」

「ああ、眠い」

「ひーん」

「あ、ひすい起きた」

「やれやれ」