「人形の森」
（五）
「ここ、一週間か十日のことだよ。洗い晒して色落ちしたＧパンをはいてる奴に、片っ端から因縁つけて歩いてるって噂なんだ」
ファーストフード店で優雅にモーニングとしゃれ込んだ東城親子を遠巻きにして、中学生からＯＬまで幅広い年代の女性たちが二人の品定めに余念がない。かたや色白の上品な美少年、かたや渋くてどこかキケンな香りのする大人の魅力がある男性、となると放っておく方がどうにかしているというものだ。あの二人はどういう関係だろうか、親子にしてはあまり似ていない、これからどこへ行くつもりだろう、等々、密やかに無責任な想像を逞しくしつつ、その挙動に注目している女性たち。
当の東城親子は、本当にホームレスと勘違いされて、もう少しで警官に交番に連れて行かれそうになったばかりなので、あまりご機嫌はよろしくない。宗佑はフライドチキンを口に放り込んで、光の顔をみつめた。
「それが、お前の言うＧパン狩りか」
「俺が言ったんじゃないよ、みんなそういってビビってるんだ」
「因縁つけるってのは、どういう風に？まさか、色が落ちてるから気にくわねえとか、そんなんじゃないだろう」
「もちろん。因縁つけてるというよりは、出所を探してる感じかな」
「出所？・・・」
「そのＧパン、どこで買ったんだ？って」
「・・・同じようなＧパン、はきたいのかな」
一瞬、二人の周囲がしんと静まりかえる。二人の間に漂った、異様な空気に、はっきりとわからないまでも何かを感じるのだろう。やがて、光ががっくりと肩を落として溜息をついた。
「・・・アンタな、どうせならもうちょっとマシなことを言いなよ」
「やっぱ、外した？」
「当たり前だよ。今度そういうつまんねーこと言ったら、口ひねるからな、とーちゃん」
「あら恐い」
全く恐いなどと思ってもいないことがありありとわかるふざけた口調で言うと、宗佑はあっさりと結論を口にした。
「古着屋だな」
「一時ほどじゃないけど、今でも古着人気は高いからね。モノによっては、かなりの高値で売買されるらしいから」
「どこの店で買ったかを確かめてるわけだな。で、それはわかったのかな？」
「まだだと思うよ。昨日俺が聞いた時点で、狭間会のヤー公に追いかけられてる奴がいたもんな」
「じゃ、この界隈の古着屋を当たってみるか」
宗佑はテーブルの上に広げられたゴミをまとめて立ち上がった。時間は十時半、商店街の殆どが店開きを終えている頃だ。
「ちょっと、俺を置いていく気？」
「お前は学校にでも行くんだな」
「そういう台詞はもっと早い時間に言えよな。大体、今日が何日かわかってんの？」
「何日って、三日だろ？」
「五月三日は憲法記念日、全国的に祝日で学校は休みなんだな」
「・・・いいよな、お前等学生は遊んでばっかりだ」
「アンタにだけは言われたくないよ、へっぽこ探偵。このネタは俺が掴んできたんだからな」
安っぽいブンヤのような台詞を吐きやがって、とぶつぶつ文句をいいながらも、宗佑は光が同行することを許可した。まだこの段階ならば、危険に巻き込まれることはないと判断したからだ。光も、本当に危ないとなると宗佑が絶対に同行を許さないことは承知の上での駆け引きだった。
「いい天気だなー」
宗佑は大きく伸びをして深呼吸した。空は五月晴れ、目の覚めるような青空が広がっている。親子連れや若者たちが、街を軽やかに闊歩している。
光は重い足をひきずるようにして宗佑の後をついて歩いていた。
「呑気だな、とーちゃんは」
「ん？なんだ、もう飽きたのか」
「っていうかさ、全然手応えないんだもんな」
「ばか、まだ六軒しか回ってないじゃないか。狭間会のシマはもっと広いぞ」
「そこにある古着屋を、全部まわるわけね・・・」
「何かオイシイ情報に当たるまでな。さ、次いきましょー」
光を先頭に、狭い階段を上がっていく。最初は一緒に連れていくのを渋ったくせに、いざ同行するとなると、「古着を買いたがっている息子についてきた優しいお父さん」を演じて見せるあたり、なかなかちゃっかりしている。ついでに、店番が若い女の子だった日には、光がいつの間にか「甥っ子」になってしまうのはご愛敬だ。
「すみませー・・・！！」
「はい、いらっしゃい」
店の奥から出てきたのは、目の回りに青あざをつくっている初老の男性だった。一見温和そうな、悪く言えば臆病そうに見えるのに、案外喧嘩っぱやい性格なのだろうか？それとも奥方の尻に敷かれる、かかあ天下の家庭なのだろうか。
青あざなど見慣れているはずの光も、流石に絶句してしまう。気を取り直して口を開こうとしたとき、さりげなく宗佑が後ろから会話を取り上げた。
「あの、ちょっとお聞きしたいんですが」
「はあ」
「狭間会のちんぴらのパシタがＧパンを売りに来たのはこちらですね？」
「・・・あ、あんた、一体・・・」
「ご心配なく。藤堂探偵社と縁のあるものです」
仕事用の名刺を差し出す。名前は東城探偵事務所所長になっているが、横に小さく藤堂探偵社の連絡先も印刷されている。堅気の、慎重居士を安心させる時に出すための名刺だ。一般的には有名でなくとも、業界ではかなりの規模の大きさと堅実さを誇る探偵社だ。相手が不安に思って問い合わせをしたときでも、安心させることが出来る。実際、藤堂は宗佑が探偵事務所を開くときに世話になったし、今でもちょっとした調査の仕事を回されることが多い。
「業界でも大手の、堅実な所です。どうぞ、ご安心を」
「それで、ワシに何を？」
「そのお怪我は、狭間会にやられたものですね？」
「ああ、まったく酷い目にあったもんだよ」
そうそう気軽に口に出来る相手ではないが、やはり誰かに話を聞いてもらいたかったのだろう。どうやら相手を信用してもいいとふんだ主人は、問わず語りに「事件」の経緯を宗佑に話し始めた。
「若い、といってもそこそこの歳はいっていたが、女がジーンズを売りに来たんだ。男物だったけれど、別にゾロ（臓品）ってカンジはなかったから、千円で引き取ったんだよ」
「高いね、どうして？年代モノだった？」
「に、近かったから。その割には案外綺麗だったしね。まあ、普通だよ」
「ヤー公が押し掛けてきたのは、どのくらい後？」
「一週間くらいかな・・・パシタが売りに来たＧパンを出せ、って凄い剣幕で。大抵は二週間くらいはハコに入ってるんだけど、それはたまたま翌日に店に来た若い男の子が買っていっちまってたんだ。そう言うと、誰に売った、どんな奴だった、って・・・」
主人は痛そうに目のまわりの痣をさすった。
「常連さんじゃなくて、一見さんだったから、余計にはっきりと答えることができなくてさ。そしたら、ガツーン！だよ」
「乱暴だなあ・・・」
「もう一度そいつが来たら、知らせろって、出て行ったよ。店中、引っかき回されて、まともに商売できるように片付くまで、三日もかかっちまった」
「・・・わかんないとは思うけどさ、もしその子がまた来たら、狭間会より先にウチへ、よろしくね」
宗佑が何やら妙な手つきで主人の手を握って、さっと背を向ける。主人は微笑み、こっくりと頷いた。
「行くぞ、光」
「あ、待ってよ、とうちゃん」
慌ててぺこりと頭を下げ、宗佑の後について店を出る。人通りの多い、大通りに出てから、光はさりげなくポケットに手を突っ込んでいる宗佑の腕を抱えた。
「お？なに、とうちゃんに甘えたくなったか？」
「バーカ」
もう片方の手がポケットの中にするりと滑り込み、何やら手品師のような手つきで掴み出してきたのは、福沢諭吉のイラスト付きの極上和紙。
「あっ、こら！」
「人前で騒がないの」
片手で器用に折り畳み、自分のズボンのポケットに入れてしまう。腕を抱えられた宗佑は、敬愛する福沢先生が光のポケットに拉致されていくのを涙を呑んで見送るしかなかった。
「きったねえ」
「こんなとこにハダカで入れておくから悪いんだよ。あのオヤジに渡したのも諭吉一枚だろ」
「あれは情報料！」
「俺もＧパン狩りの情報流してやったけどなー。お陰で重要な手がかりが掴めたじゃん？」
「・・・見舞金も兼ねてたのっ」
ぴたりと光の足が止まる。釣られて宗佑もかくんと無理に止められ、怪訝な顔で振り返る。光は不思議そうに小首を傾げて、宗佑を見つめていた。
「・・・何だよ」
「ふうん・・・」
再び歩き出した光は、幽かに微笑んだ。
「いいとこあるんだね、アンタって。金額はみみっちかったけど」
「世の中カネじゃねえよ、キモチだよ。お前のとーちゃんはいいヤツなんだぞ」
「そうだね」
貧乏だけど、と小声で付け足し、光は笑った。
「良いヤツのご褒美に、諭吉さん一枚を二枚に増やしてあげるよ」
「ふん、漱石が二枚になったって嬉しかねえやい！」