「人形の森」
（四）
ごとん、と音を立てて缶ビールが落ちてくる。自動販売機の取り出し口から缶を取り出し、プルリングを引く。ぐっと一口呷った宗佑を、恨めしそうに光が見つめる。
「なんで俺はコーラなんだよー、とーちゃん」
「警官に見つかったら面倒だろ」
「ちぇー」
およそまともな親の言うこととも思えない台詞を吐いて、宗佑は澄ました顔でビールを飲んでいる。ぶつぶつ文句をたれながら諦めてコーラの缶を傾けている光をちらりと見て、ふと微笑む。
繁華街のすぐ側を流れている河にかかっている橋のたもとで、東城親子は座り込んでコンビニ弁当を広げていた。
「何かさあ、この時間にこんな場所じゃあ、ピクニックとかしゃれたモンじゃないよね」 「ホームレスの前身ってとこか？」
「いいけどね。家に帰ったって、建物の中ってだけで、これと大きく変わるわけじゃないしさ」
「そうそう」
呑気にパンをかじっている光に、宗佑は探りを入れるように話しかけた。
「で、光、Ｇパン狩りって何だ？」
「見返りなしじゃなー」
「お前なー・・・そういうこと言ってると、人間小さくなるよ」
「アンタはリョーコさんから見返り貰うんだろ。俺も欲しいなー、とうちゃん」
「・・・イヤな奴」
「俺はいいんだよ、別にどうしても話したいってんじゃないもん」
「光い、仲良くしようよぉ」
光の手にビールの缶を握らせる。つい先程、理由は何であれ飲酒を禁じた人間の行動とも思えない。が、光は黙って首を振った。
「あれ、ビールは嫌い。・・・」
「今は要らない」
「じゃ、何が欲しい？いっとくけど小遣いはダメだぞ。最近とーちゃん、ついてねえんだ」
「何にもいらない」
「・・・？」
「アンタの昔話、聞きたいな」
「昔話ぃ？そんなもん、聞いたって面白くも何とも・・・」
ばかばかしい、と言わんばかりの口調で首を振り振り要求を退けようとしていた宗佑の表情が、不意に固くなった。光がじっと、見つめていたからだ。
相変わらずの、冷たい無表情。通りいっぺんに、何となく眺めただけでは何もわからないけれど・・・「雄弁な無表情」とでも表現すればいいのだろうか。
光は、飢えている。その飢えが満たされるのは、金持ちで、裕福で今日、明日の食事や寝床の心配をする必要など全くないところではなく、こんな不安定な生活基盤しかない、しがない私立探偵の傍だとは。
「・・・別に、自慢するようなことって一つもないんだよな」
「・・・うん」
「勉強嫌いでよー。右から左どころか、まず入り口に蓋が閉まってるんじゃないか、なんて言われるくらいで」
「それは今でも変わんないね」
「ほっとけ！」
ごつんと一発握り拳を投下する。痛えな、と文句を言う割には光は宗佑の隣から離れようとしない。
「オヤジは呑んだくれだし、お袋は愛想つかして男漁って、そいつと一緒になるんだ、なんて甘い夢見ちゃあ捨てられて、いつもぴーぴー泣いてた。家族なんて言えたもんじゃなかったな」
「・・・」
「手っ取り早く強くなって、稼げるようになりたかったから、ジムに通って、ボクサーになった。安易だろ？」
「すっごく」
「はっきり言わないでっ、この子ったら、チョームカつく！」
「怪しげなコギャル言葉はいいから。それで？」
「えーと・・・そんで、強くなったのはいいけど、強くなりすぎて、五回目くらいにリングに上がったときに、対戦相手を殺したんだ」
どうだ、ビビったろう、と言わんばかりに鋭い目つきで睨みすえてみたが、光は無表情な透明な視線を注ぐばかり。いじけそうになるのを堪えて、宗佑は溜息をついてまた口を開いた。
「何にも反則ワザとか使った訳じゃないけど、なんとなくさあ。そういう奴って、敬遠されるんだよな。特にまだ新人だし。そこからはお定まりの、流浪の人生の始まり始まり〜」
「・・・何やってたの？・・・」
「え」
まじめな顔をして聞かれると、答えにくい。いつものように、ふざけたようにバカにした口調で聞いてくれたら、あっさりと答えられるというのに。ただの照れでもなんでもなく、気にしていないとは言っても、大きな声で言えるような事ではなかったから。
「・・・うん、色々やった。わざとこういう暴力団が仕切ってる店の用心棒にケンカふっかけたり。いくら当事者同士が納得してるからって、全財産賭けた殴り合いなんて、普通見逃してもらえないからなあ。強盗とか、そんな容疑もかけられちまったな」
「やってないことを聞いた方が早そうだね」
「うん。やってないのは、ヤク関係の仕事と、コロシと、ツッコミくらいかな。あとはみんなやったよ」
「じゃあ、もちろん檻ん中も入ったんだ」
「二回、五年くらいかなー」
「そうか、それでリョーコさんに弱いんだ、アンタ」
「うう、うるせい」
「あはは、図星だー」
不躾にも、人の顔をはっきりと指さして笑い転げる。こいつ、一体どういう躾を受けてきたんだ、などと偉そうなことを考えながら、宗佑はやたらと煙草をふかしていた。
「で？とーちゃん、いつヘマ踏んでリストラされたの？」
「へっ？リス・・・なに？」
「なんだよ、リストラもしらねーのかよ。無知蒙昧な輩め」
「うう、うるせい！」
「リストラってーのはよ、企業が業績が悪くなってきた時に、態勢建て直しのために合理化を図って、不要と思われる部門やら人材やらを、カットしていくことなんだよ。もう大分前から、やれ不景気だリストラだって騒がれてるぜ。たまには新聞くらい読めよ」
「・・・はい」
「常識のない親を持つと苦労するぜ」
「ふん、イヤなガキ！・・・まてよ、どうして俺がリストラされるんだよ？第一、どっこにも雇われてねーのに？」
きょとんとした顔で宗佑が尋ねると、光も同じく、きょとんとした表情で首を傾げる。
「あれ、とーちゃんヤクザじゃなかったの？」
「んまあ失礼な！アタシは一匹狼よっ、群なきゃ何にもできない羊ちゃんと一緒にしないで欲しいワッ！」
「・・・なあ、頼むからそのオカマ言葉、やめてくんないかな」
「ふん、参ったか」
「参った」
「素直でよろしい」
やっと一本取ったぞ、と言わんばかりの鼻息の荒さで頷いてから、腕を組んだ。
「俺はヤクザにはなりたくなかったんだ。やってることは似たようなものだったけどな」
「・・・わかるな、それ」
「そうか？」
「縛られたくなかったんだ。だろ？」
組織に、組長に、兄貴分に、舎弟に、女に、全てのものに縛られたくなくて、どこの組織とも、誰とも密接なつながりを持たないようにして、気ままな「ろくでなし」世間を泳いできた。そこから足を洗ったのは、バカなことばかりをしているわけにもいかなくなったから、ではなく、単に「賭け」に負けただけなのだ。どこまでも、気楽気ままな人生。
「・・・そうかもしれないな」
「俺には真似出来ないな」
「そうか？お前の方がスケール大きそうだけど」
「なんていうのかな・・・ときどき、糸が切れそうになるんだ」
「糸。・・・」
「心の中、っていうか、頭の中に透明な糸があるみたいでさ。ベタベタしてるのも鬱陶しいんだけど、あんまり誰にも見られない生活とかしてると、それがまた憂鬱で」
「・・・」
「時々夜、目が覚めて、吐きそうになるんだ・・・」
おそらく、ストレスだろう。相反する心の動きによって、自覚以上の緊張を強いられる。「糸」というのはそのあたりのことを言っているのだろう。
実際、宗佑は光が夜中に嘔吐している気配を感じたことはある。直接見たわけでもないし、声をかけたところでどうにもならない類のものであることがわかっていたから、敢えて知らないフリをしてはいたが、・・・。
「・・・最近、なくなってきたけどね」
「そっか」
「今、何時？」
「ん？・・・三時半」
「俺、最近、夜弱くなってきたなあ・・・前は何時でも全然平気だったのに」
後半はふにゃふにゃと、あくびを噛み殺しながらの台詞に、宗佑は苦笑した。
「そういや、俺には朝と昼しかない、なんて威張ってたな」
「うん。眠い・・・いよいよホームレスだね。ホームレス親子だ」
ことん、と宗佑の肩にもたれ掛かる。眠そうに半分瞼が塞がっている顔で微笑し、見上げてくる。宗佑は光の肩を抱いて、微笑んだ。
「保護者同伴だからいいんだよ。ウチの教育方針は『何でも体験』だからな」
「いーかげんだな・・・」
「・・・かもな」
光は静かな寝息をたてて眠っている。暖かくなったとはいえ、本当に路上生活をしたことなどない光には、まだ肌寒い気候だ。ジャケットを脱ぐと、肩へ掛けてやった。
「・・・おやすみ」