「人形の森」
（三）
事務所を出た宗佑は、とりあえずパチンコ屋へ入った。つい、光の言葉に従って出てきてしまったものの、働こうと思えばもっと夜遅くになってからでないと、少なくとも七時はまわらないとろくな働きはできない。時間つぶしと遊びの為ではなく、情報料を稼ぐため・・・そう言い訳しながら、宗佑は新台の前に陣取った。
そういえば、涼子から「見返り」が何なのか、聞くのを忘れていた。あいつのことだから、どうせ光のことに関係したことなんだろう。全く、エリート刑事のくせに、汚い手を使う奴だ。光の名前を出せば、俺が言うことを聞くと思っていやがる。実際その通りなのだから腹が立つというか情けないというか、何というか・・・しかし、別に今更違法行為を強要されるわけでもないし、されたところでどうということはないし、警察の手先として働かされるくらいのことで、あの事が隠しておけるのなら、不愉快さや危険を差し引いても、お釣りが来る。たとえ知られたとしても今更何も立件できないことだし、涼子だってそれを振りかざしてどうこう言うことはないだろうが、・・・これ以上弱みを作らないに限る。
自分のことならともかく、光のことだけは、隠し通さなければ。
真剣な表情で考え込んでいた宗佑は、はっと我に返った途端、にったりとだらしのない笑みを浮かべた。
「大当たり！愛してるわっ、源さん！！」
パチンコ屋を三軒、ジャン荘を二軒ハシゴした宗佑は、すっかり暖かくなった懐を抱いて、陽気に街を歩いていた。女刑事にゴリ押しされたことはすっかり水に流してしまったような顔つきだ。
「さあって、仕事しよっかなー」
空は暗くなり、代わりに地上の光が真昼のようにまぶしく氾濫する。繁華街に足を踏み入れると、そこには善良そうな顔をしたヤクザの下っ端が、本当に善良なサラリーマンたちを引っかけようと頻りに呼び込みを繰り返している。曰く、「マッサラのピチピチだよ」「ここだけの話、三本ぽっきりで思いのままだよ」、「モノホンの女子高生！覗くだけでいいから、ね、ね、ね」云々。
「けっ」
宗佑は肩をすくめた。
今時、本当にマッサラのピチピチだのモノホンの女子高生だの、たった三本ぽっきりで買えるものか。こんなところで買えるのは三十過ぎの女子高生や、くたびれ果てた作りもの位のものだ。本当に買いたければ、もっと本格的に違法行為に足を突っ込むつもりでなければ。
それでも、引っかかるオヤジやあんちゃんが数多くいる。言い換えれば、それだけ善良な人間がいるということなのだろうが。
宗佑はとりあえず、顔見知りのポン引きに声をかけた。
「よ、タカシ」
「え？あっ、東城さん！お久しぶりっす！」
「ちょっと聞きたいことあるんだけどなー」
「何でしょう、俺でわかることだったら」
「いや、お前さんじゃわかんねーんだ」
タカシと呼ばれた青年の顔が、強ばる。うっすらと額に浮いているのは、冷や汗、脂汗だろうか？
「・・・待っててもらえますか？」
「うん、よろしくね」
青い顔で、店の中に入って行く。二言、三言、何か言っていたが、すぐに外へ出てくる。客引きをしていた時の明るい口調はすっかり影を潜めている。低く、真っ正面にたっている宗佑にも聞きとり難い小さな声で、ぼそりと囁いた。
「裏口に、森谷のアニキがいらっしゃいます。そちらへどうぞ」
「さんきゅー」
同じような作りの、同じような内容の店の前を一ブロック歩いてから、細い路地へ踏み込む。生ゴミのすえた匂いとアンモニア臭の立ちこめる道。今はまだ野良猫くらいしかいないが、もっと夜も更けてくると、店が出す残飯類を目当てに、ホームレスたちが集まってくる。
最初の角をまがると、いきなり黒っぽい地味な色のスーツを身に纏った、体格の良い男が一歩進み出た。宗佑と殆ど似た高さだ。横幅は、宗佑の方が大分スリムだが、相手の男も脂肪で弛んでいるわけではない、締まった体つきであることが、スーツの上からでも充分見て取れる。
「東城さん、お久しぶりですね」
「半年くらい顔合わせてなかったのかな？」
「そうですね」
サラリーマンにしては目つきが鋭すぎる。が、ヤクザ者にしては品がいい。ある程度身分が上だと、中身も良くなってくるのだろうか。少なくとも、下品な刑事よりは余程上品な男だ。
「森谷サンにたってのお願いがあるんだが」
「どうぞ、何なりとお申し付け下さい」
言葉付きも丁寧なら、腰も低い。本気で宗佑に遠慮している様子だ。それを鼻にかける様子でもなく、宗佑は気楽な風で言った。
「ちょっと聞きたいんだけど、何か変わった動き、ないかな？おたくの組じゃなさそうなんだけど」
「・・・なぜ開成組とは関係ないとおっしゃる？」
「お前さんがここにいるから」
「・・・」
「山の手線に出没する、若いオトコばっか狙う痴漢を捕まえてくれって依頼がきたんだけどさ。どうも、タダの痴漢じゃなさそうなんだな」
森谷は黙って宗佑の言葉を聞いている。
「大分やっかいなヤマらしい。もし開成組も一枚噛んでいるんだとしたら、若頭のお前さんがここにいるはずがない。だろ？」
「・・・オヤジさんがあなたを欲しがっている理由がわかります」
今度は宗佑が押し黙る番だった。森谷は渋い笑みを浮かべ、首を振った。
「あなたのおっしゃる通りです。うちはこの数年、暴対法のために、全くヤバイ橋を渡れなくなった。うちは今何のトラブルも抱えてはいません」
「じゃ、どこならトラブってる？」
「さあ・・・丸和組系列の組がばたばたしているらしいという噂は聞きましたが、それ以上のことは漏れてはきません。私より、直接丸和に近い者にお聞きになった方が、まだ詳しいことがわかるのではないでしょうか」
「そっか・・・わかった、ありがとう」
軽く手を挙げて背を向けた宗佑に、深々と頭を垂れる森谷。宗佑の背を見送っていた森谷が、ぽつりと呟いた。
「探偵などで終わるには、惜しい人なんだが・・・」
時計は既に十二時を回っている。
それでも、街の光は一向に暗くなる気配はない。まだまだ、夜はこれからなのだ。すでに店をハシゴしているのだろう、顔を赤くしたサラリーマンたちが何やら騒ぎながら、次の店へと繰り出そうとしている。
そんな大通りのことなど目もくれずに、ちびりちびりと酒盛りを楽しんでいる連中がいる。路地裏に陣取って、あちこちから、「回収」してきた酒瓶を手に、地べたに座り込んでいる。あたりはもちろん、彼ら自身の身体からも、何やら怪しいニオイがたちのぼっているが、全く気にならないかのように飲み食いしている。残飯、といっても腐ったものなどあえて口にする必要はない。この飽食の時代、あちこちの店から出され、分け与えられる「残飯」は寄せ集めれば立派な弁当が作れるほどだ。
そうやって酒盛りをしている連中の中に、宗佑の姿が混じっていた。
「春さん、まあいっぱい」
「すまんなー宗さん」
紙に包まれた一升瓶を傾けると、ぷうんと酒の匂いが漂ってくる。かなり上等の酒のようである。
「久しぶりにホンモノの酒を口にした気分だよ」
「近頃の酒は不味いからねえ」
「アンタ、若いのに舌が肥えとるのー」
「留さんには適わないっすよー」
四、五人のホームレスの中に入って、すっかりとけ込んでいる宗佑。自分も手酌でぐいと煽ると、ふうっと息をつきながら、ぐるりと一座の者を見回した。
「でさ、丸和組系の組のことなんだけどさ」
「そうそう、そうじゃった」
「その、アンタの言う痴漢のことと関係あるのかどうか、さっぱりわからんが、確かに丸和組系の組が、ごたごたしとるようだな」
「どこの組か、わかる？」
「うーむ・・・お前さん、しっとるかな、三丁目の『ラ・ポワン』っちゅー店をしきっとる組らしいが」
「三丁目の『ラ・ポワン』ね・・・そこの組が、どうしたの」
留さんと呼ばれた男が、ぽりぽりと髪をかき回しながら、答える。
「何でも、下っ端の若いのがどえらい失敗こいて、大変なんだと」
「ふうん？」
「詳しいことはわからんが、エンコ詰めただけじゃすまねえとか、パシタがどうとか」
「そりゃワシも聞いたことがあるな。アケミとかいう女が姿を消しとるそうだとか」
「ここんところ、ずっとばたばたしとるな、あの店も。組員総動員でどうとか」
「・・・ふうん・・・」
どうやら、涼子が追っているのも、この線に間違いない。指詰めでは済まないほどの大事、組員総動員の後始末。
だが、問題は、丸和組系の暴力団で不始末が起きると、なぜ山の手線で男を狙う痴漢が多発しなければならないのだろうか、という点だ。涼子の狙いもこの、「何故？」を宗佑に突き止めさせることなのだろう。
考え込んだ宗佑の耳に、春さんの怯えたような声が突き刺さるまで、側に誰かが来ていることに全く気付かなかった。
「ひぃ・・・『人形』じゃ！」
「逃げろ！」
「えっ？・・・」
宗佑が顔を上げるより早く、ホームレスたちが怯えて逃げて行く。見上げると、満月を背に、細い人影が立っていた。
「アンタ、いつからホームレスの仲間入りしたんだ？」
「・・・光・・・」
「あんなに怯えることねーじゃん。俺、何にもした覚えないけど」
ジーンズに黒いＴシャツ、パーカーのポケットに両手を突っ込んだ光が、残された湯飲みをコンと蹴飛ばした。
「オヤジ狩りを止めたくらいなのにさ」
「・・・そいつらを止められる、お前がそれ以上に恐かったんだろうよ」
「まあいいけどね。それより、とーちゃんの邪魔したかな？」
にこっと笑って首を傾げる光。宗佑は首を振った。
「いや、話はもうきいちまった。それよりお前、なんでこんな所に・・・なんでここがわかった」
「りょーこさんから聞いた」
「・・・なんだと？」
あの女、よりによって光にバラしたのか？顔色が変わった宗佑に、光は肩をすくめた。
「痴漢探しにかこつけた、暴力団潰しなんだって？だったら、多分ここにいると思ってさ」
「ああ、そうか」
「見返りは、沈黙と情報だって。何のことかわかる？とーちゃんにはそういえばわかるって言われたんだけど」
「・・・」
光当人をメッセンジャーに使うとは、あざといことをする女だ。流石と言うべきか、宗佑には絶対に真似できないことだ。溜息をついた宗佑の隣りに座り込み、光はぽつりと言った。
「Ｇパン狩り」
「なに？」
「俺も、気になってさ。ちょっと、聞いて回ったんだ。そしたら、そいつらがＧパン狩りの話をしたんだ」
「おまえ・・・」
「丸和組系の、狭間会がやってるらしいよ」
はっと振り返る宗佑に、光はまるで人形のように整った顔に、妖しい微笑を浮かべていた。
「聞きたい？」