「とうちゃん、刃物の仕込み方教えてくれ」
いきなり扉が開いたかと思うと、詰め襟の制服を着た少年が座った目で、中にいた男を睨み据える。
男は東城宗佑、私立探偵。日に焼けた彫りの深い顔は、独身の三十代前半といっても充分通用する若々しさ。ニヒルな渋さを醸し出す端正な顔に、大抵の女性は惚れ惚れと見とれてしまう。
黙って遠くから眺めているならともかくも、側へ寄って話もしているのにおバカでスケベな本性が見えないバカオンナばかりだと、彼に群がる女性を侮辱しているのか宗佑をコケにしているのかよくわからない、その両方の可能性が高いことを口にするのが宗佑の一人息子、あかり。現在都立中学二年。
「・・・帰ってくるなりぶっそうだねー、あかりちゃん」
「うるせえ」
少女のようにも見える、色白の整った顔立ちで睨み据えられてもびくともしない宗佑。逆に、柔らかい微笑を浮かべる。
「刃物なんか隠し持って、どーすんの？路上強盗はだめよ〜アシがつきやすいのよン」
百八十センチは優に越す長身の男が女言葉でオホホと笑って見せても気色悪いだけだが、不思議と宗佑がやってみせると、子供のおふざけのようで、おかしくはあるがブキミではない。が、光は全くの無表情を崩さずに、あっさりと父親の冗談を切り捨てた。
「アンタと一緒にするな」
宗佑はふと眉を上げて、マジで怒ってんのかよ、と呟き腰を下ろした。いつ中からスプリングが飛び出してきても不思議ではないオンボロのソファーだが。
「なんだよ、一体？何かあったのか」
「なんでもいいだろう」
「よくないよ。アタシはお前の父親なのよッ」
先程息子にあっさりとバカにされたばかりなのに、懲りずに女言葉を繰り出す。今度は少し腹がおさまってきているのか、光は呆れたような苦笑を浮かべて、父親の前に座り込んだ。
「ちょっと、手を切り裂いてやりたくてさ」
「なんでー、チャリンコか？」
「アンタ、いくつだよ？古い言葉知ってんなー」
「そりゃこっちの台詞だよ。スリでないとすると、なんだ？」
「痴漢」
「・・・痴漢？」
宗佑は呆気にとられて息子を見つめた。あまりにも熱心に光を見つめ過ぎて、あまりにも熱心に光の口にした言葉と当人とを繋げようとし過ぎて、口がぽかんと間の抜けたように開きっぱなしになってしまったほど。
「・・・光、おまえさ、女の子だっけ？」
「いや、今までもこれからも、ずうっと男」
「まさか、もうお婿に行けない身体にされちゃったとか？」
「アンタな、もうちょっと真面目になれないのかよ」
「真面目だから心配してんのっ！」
「そうは見えないけど・・・」
思いきり親の心を踏みにじる言葉と視線を投げつけてから、光は首を振った。
「ケツを撫でられただけなんだけどさ。アンタ、昔からワルだったんだっけ」
「・・・まあ、その、一応、なんというか」
「じゃ、痴漢にケツ撫でられるなんてこと、なかったろ。逆に、ホステスのねーちゃんの尻を追いかけたことはあっても」
「ないけどさ、何か俺、お前の言葉にいちいち傷つくんだけど」
「気のせいだよ」
くすりと笑う光。息子から酷い言葉を投げつけられていても、自分で言ったように「傷ついて」はいない宗佑が、光の笑顔を見て、ほっとしたように微笑んだ。
「んじゃ何かい、電車で痴漢にケツ撫でられたのか」
「・・・うん。目茶苦茶気持ちわりィの」
「勘違いとかじゃなくて？」
「まだ昼間だし、混むったって女と間違えるほど混んでる訳じゃない。それほど混んでないからこそ、まさに俺を狙ったってことじゃない？」
「そうか・・・そうとも考えられるか」
「下手に騒ぐと俺が恥ずかしいからさ、確かめようと思って手ぇ掴んだんだけど、逃げられてさ。振り返ってもどいつがやったのか、わかんねえんだよ」
そこまで聞いて、宗佑は軽く溜息をついた。
「それで、刃物の仕込み方を教えろ、か」
「今度は問答無用で指を裂いてやる。まあ半月は痴漢も何も出来ないさ」
楽しそうな声が、冷たい氷の微笑と共に聞こえてくるのは、さすがの宗佑もなかなか慣れることができないでいる。少女のように整った顔立ちだからこそ、そこに含まれた悪意、害意がはっきりと読みとれる。いや、増幅されているくらいだ。これが、たかだか十四歳の少年の表情だろうか。
しかし、宗佑はそれには触れないで、違うことを口にした。
「ま、やめときな。お前が傷害か何かで引っ張られるのがオチだ。下手に刃物なんか持ち歩いて、補導されるのも面倒だろ？」
「・・・そだね」
光はあっさりと頷いて立ち上がった。
「どこ行くの？」
「部屋だよ。おべんきょーすんの」
「へえっ、テスト前でもねえのに！」
「アンタ見てから人生観変わったんだ。人間、成長しないとね」
「・・・褒められてんだか貶されてんだか、わからん台詞だな」
「考えると哀しいからやめといたら？」
つまり、バカにしているわけだな。
愛想のない口も、無表情も相変わらずだが、それでも以前と比べたら大分笑顔も見せるようになったし（もちろん「普通」の笑顔だ）、何より宗佑を親として、「家族」として受け入れているようだ。
「それでよしとするか・・・」
少々複雑だが、宗佑は溜息をついて光の背中を見送った。
＊ ＊ ＊
ゆっくりと、ノブが回る。音も立てずに扉を開け、部屋の中に侵入してきた黒い影。ソファーに沈み込むように座っていた少年は眠っているのか、身動きすらしない。黒い影の手が、少年の顔に伸びて、・・・・・
「・・・いででででっ！」
力任せに頬を捻り上げられた少年は悲鳴を上げながら飛び起きた。
「ってーなっ、なにすんだよ、とーちゃん！」
「痛い？」
「当たり前だろ！！」
怒鳴りながら立ち上がった光は、父親に捻られた頬を撫でながら冷蔵庫を開けた。
「目ぇ覚めちまったよ」
中から取りだしたのはビールだった。光が飲むには早すぎるシロモノだが、宗佑は全く気にする風でもなく、息子に声をかけた。
「俺にもくれ」
「はいよ」
無造作に投げられた缶ビールを器用に受け取り、蓋を開ける。美味そうに飲んでいる父親に、少年は話しかけた。
「で、とうちゃん、アンタ今なにやってんの？」
「仕事にきまってるでしょー」
「仕事、ねえ・・・」
細身のコットンパンツに黒のＴシャツ、麻のジャケットを無造作にひっかけた姿は、どう見ても街のちんぴらか遊び人。日に焼けた彫りの深い精悍な顔立ちは、中学生の息子がいるようにも思えないほど若々しい。事実、街のおネエちゃんたちにはかなり、もてているようだ。
「探偵ってのは、一日中ジャン荘で遊んでたり、ホステスのねえちゃんと遊んでるのが仕事なのかねー」
「うっ、何故それを？！」
「口紅ついてるよ」
「えっ、どこ！」
「うそ」
慌ててティッシュペーパーで顔を拭おうとしていた手を止めて、じとっと恨めしそうに息子を睨み付ける。
「・・・騙したな〜光ぃ〜」
「まだまだだね、宗佑くん、勉強したまえ」
光はにこりともせずに父親を眺めた。
「今までどこをほっつき歩いてたの？」
「どこって、だから」
「ジャン荘出たのは夕方、キャバレー出たのが九時前。それから四時間、どこで遊んでたのさ」
「何でオマエがそんなこと知ってるんだ？」
「簡単だよ、アンタに夢中の亜由美チャンからお電話があったってわけ。一応バイトくんってことにしておいたけど、バレるのも時間の問題だよ、スケベ中年くん」
「うるせー。・・・ま、その日が来るまでボクは独身ということでよろしくね」
皺だらけの五千円札が、父親の指から息子の指へと移動する。もう何度となく交わされた契約なのか、光も当然のように五千円を受け取り、軽く片手で拝む真似をする。
「でもさー、ホントのこと言っちゃってもいいじゃん。別にアンタの不利になるどころか、お株が上がるかもよ。案外いいとこあるのねー、なんてさ」
「案外だけ余計だっつーの」
空になった缶を軽く握りつぶし、ごみ箱へ放り投げる。あさっての方向へ飛んでいき、派手な音を立てて床に転がったが、宗佑は全く気にせず、息子の顔を見て顔をしかめて見せた。
「そういうのは俺のポリシーに反するのだ」
「ポリシーねえ・・・」
「・・・コンビニめぐり、してたんだよ」
「はあ？」
「中坊か高校生くらいの奴等ばっかだと思ってたけど、結構いい歳のあんちゃんもいるんだな」
「ああ、コンビニ前でたむろしてる奴等のことね・・・じゃ何、それが今度のアンタの仕事？」
「いや、全然」
あっさりと首を振る。光はますますわけがわからない、という表情で宗佑を見つめる。
「前の仕事の時にさ、『人形』の話を聞いたんだよ」
「・・・」
光の表情がぴくりと強ばる。それまでとは全く違う、冷たい、鋭い視線を父親に向かって投げつける。宗佑はそんな光の表情もまるで気にせずに、呑気な口調を崩さずに続けた。
「まるで鉄仮面か能面だって聞いたからさー」
「それで、俺の頬を捻って確かめてみたってわけ？」
「ほら、俺ってまだ経験浅いじゃん？だからさ、息子ってどんなこと考えるのか、知りたいの」
「・・・だったらたまには家にいろよ、不良中年！」
相手にならん、と呆れて部屋へ戻ろうとした光の手を、宗佑が掴んで引き留めた。
「・・・何だよ」
「ヤニはやめとけよ、匂いでバレるからな。センセにいちいち学校に呼び出されるのは面倒だし」
「ふん、そんなヘマするかよ。それに煙草はもう止めた」
「あれ、いつの間に」
「アンタに全部吸われちまうもん、ばかばかしくって」
「いいじゃん、ケチケチすんなって」
「子供にたかるな、子供に！」
・・・部屋に戻った光は、サイドボードに乗っていた、鈍く光る銀のライターをつまらなそうな目で眺めて、そっと手に取った。
「・・・それに、さあ」
手慣れた仕草で蓋を開け、火をつけた。青い炎がゆらりと立ち昇る。しばらくその炎を見つめたあと、ぱちん、と音を立てて蓋を閉め、そのまま、ごみ箱へライターを放り込んだ。
「あんたが、怒るから・・・さ」