「人形の森」（序）

　今日は四月二十日。
　絶対に合格するのだと心に固く誓っていた大学に無事合格し、学生として通い初めて二週間。クラブにも入ったし、友達も出来た。今日もその新しい友人と大学前の通り、通称「親泣かせ通り」で本屋やＣＤショップでかなりの時間を潰して来た。明日は自分も含めて男三人、女三人で映画に行く約束もした。
　人見知りする方の自分としては、仲々いい学生生活のスタートを切ることができたと思う。が、それはそれとして、少し疲れてもいる。何もかも初めて尽くしの新しい生活というものは、やはり緊張するものだ。明日は昼からの予定だし、ちょっとゆっくり朝寝でもしようかなあ・・・などと考え、ぼんやり電車の吊革にぶら下がったとき。
　・・・最初は、なんて混み合っている電車なんだろうと思っていた。朝はしっかりと一限の講義ははずしておいたから、通勤アワーのラッシュとぶつかることはない。そのせいか、たまに帰りのラッシュに巻き込まれた時は、辛かった。朝からこんなにぎゅうぎゅうに押し込まれて、一日働いて、帰りにも人に揉まれる生活を繰り返しているサラリーマンは、充分尊敬に値する、などと思いながら。
　だから、最初その手の存在に気付いたときも、「混んでいるから」だと思った。だが、どうも違う・・・何かの目的をもって、ごそごそと動いている。その目的が、痴漢行為にあると気付いた時・・・少年は、十八年生きてきた中で、最も不愉快で恐ろしくて背筋の凍り付く思いをしたと思った。
　なぜ、こいつは男の僕の尻を撫でているんだ。
　なぜ僕なんだ。
　女の子だったらいいということでは絶対にないけれど、何故、よりにもよって男の尻を撫でる？！

　尻を撫でる手。
　残念ながら、電車、バス、混雑して人が密集するところでは、そんな痴漢行為を働く馬鹿者が多く出没する。その被害者は殆ど女性で、痴漢に遭っても恐怖の為に声も出せなかったり、勇気を出して声を上げても、逆に罵られ、侮辱されて恥ずかしい思いをさせられることが多い。
　しかし、・・・たまには、この学生のようなケースもある。男性を狙った「痴漢」。数は少ないし、被害に遭った男性も、まず殆どが「隣の女と間違えたな」と思うか、それとも痴漢などとは夢にも思わずに、単に満員電車での不可抗力の接触と思うだろう。

　・・・果たして、そうだろうか？
　確かに、大半はそうだろう。単なる思い過ごしであることも多いかもしれない。
　だが中には、確かにその男性を性的興奮のための材料として選びだし、尻を撫で回して密かな快感に浸っている人間がいるのではないだろうか。

　その証拠に・・・・・