「仮面の告白」
（五）
翌日、宗佑に呼び出された嶋村涼子は、何故かあの太田刑事を伴って東城家を訪れた。徳川殺害事件の担当者なのだから当然といえば当然だが、それなら部外者、少なくともまだ警視庁と合同捜査に乗り出す段階ではない現時点で、涼子が口を出すことは、ヤクザ以上に縄張り意識の強い警察関係者として歓迎すべきでないことであるはずなのに・・・太田はけろっとした顔で、涼子の後に付き従ってきた。宗佑は訝しげに、二人の顔を見比べた。
「涼子・・・一体、何を企んでるんだ？」
「失礼ね、私を呼びだしたのは宗佑、あなたの方じゃないの」
しかも、前回の割り符事件の貸しを、いつの間にやら十倍以上の相場に釣り上げて。涼子としても、余所の所轄の事件に首を突っ込むのはあまりやりたくないことなのだが、借り逃げ呼ばわりまでされては、何とかしないわけにはいかない。
「だけど、俺はそこの太田刑事までご一緒に、とは言わなかったぞ。いや、この場に居ることより、どういう関係なのかが気になるな」
「刑事としての、仲間以上のなにものでもないわ。・・・といっても、信じないかしら？」
「当然当然。嶋村サンのステディかしらぁ？」
「そんなんじゃないんですよ」
微笑をたたえて涼子と宗佑を見つめていた太田が手を振って苦笑した。
「実は、姉弟なんですよ、僕たちは」
「姉弟？！・・・涼子、お前バツイチか」
「違うわよ、私は父方の叔父夫婦の養女になったの。子供に恵まれなくてね」
「ふーん、追い出されたんだ」
しれっと強烈なことを口にしたのは、光だった。
自分が殺人の容疑をかけられているというのに、そしてその容疑を晴らすために涼子を呼び出したというのに、・・・度胸が良いと言おうか、無謀と言おうか、いっそ無邪気と形容しようか・・・。
「あんまりキョーレツだから？」
「・・・」
君ほどじゃないわよ、と言い返そうとして、涼子は言葉を呑み込んだ。それは全く、冗談にならない台詞だ。光は首を傾げて、沈黙を守っている涼子の顔をしげしげと見つめた。
「リョーコさんが、お姉さん？」
「そうよ」
「太田さん、いくつ？」
「二十九だけど・・・」
「なんだ、大台じゃん。リョーコさんておばさんだったんだ」
「・・・つくづく失礼な子よねえ、流石に宗佑が育ててるだけのことはあるわ」
「いや、それは俺の影響ではなくてだな」
「素直な本心の吐露とでも言うわけ？」
どう返事しても首を絞めるだけの状況に陥ったことを確認すると、宗佑は無意味な咳払いを二、三度繰り返して光の頭を小突いた。
「いてえな、何すんだよ、とーちゃん」
「うるさい、ちったあ自分の立場も考えろっつーの！」
「だって俺の二倍以上生きてるんだぜー、下手すりゃ三倍じゃん」
「勝手に四十台にしないでちょうだいっ！・・・昌樹、目が笑ってるわよっ」
現役の中学生、ティーンエイジャーには勝てないのか、涼子は隣りに座って笑いを噛み殺している弟の頬をひねり上げて憂さを晴らしていた。
ひとしきり、そんな砕けた会話で騒いだ後、さりげなく宗佑が本題を切り出した。
「・・・今日、涼子を呼び出したのは他でもない」
「徳川悦夫殺害事件のことね」
宗佑は黙って頷いた。
「俺は光が犯人ではないということを、知っている。でも、俺が知っているだけではだめなんだ。それを、第三者に立証しなければならない。そのために、涼子の力を借りたい」
「話す気になったのかな、光君」
太田が微かに笑みを浮かべる。
こいつ、見かけによらずなかなか食えない男だ。さすがは涼子の弟、と宗佑は感心したが、食えない、という意味では光は涼子よりも上だ。
光は柔らかく微笑んで、言った。
「先に情報を流してくれたらね」
「光クン、今のあなたがどんな立場にいるのか、分かっているのかしら？あなたは私たちに対して包み隠さず、知っていることを全て話す義務があるのよ。私たちに情報を要求する権利はないわ」
「確実な証拠が発見されるまでは容疑者は容疑者ではなく、あくまで重要参考人であり、被告は刑が確定するまでは、有罪ではあり得ない」
笑みを崩さず、光は涼子に対して言い切った。
「そして、俺は身を守る権利がある。もし話して俺が不利になるようなことならば、俺は黙秘する権利がある。違ったかな？」
「・・・違わないわね」
涼子は立ち上がった。
「だけど、あたしたちは刑事よ。裁判官でも検察官でも、そして弁護士でもないわ。事件の『重要参考人』に、部外秘の大切な情報を漏らすわけにはいかないの。それをあたしたちに期待しているのなら、大きな間違いよ、宗佑、光クン」
「残念だけれどね」
太田も立ち上がり、涼子の後を追って行こうとする。
「あんたたちに事件は解決できない」
「・・・なんですって」
おいおい、やめてくれよ。
宗佑は涼子と光の間に、青い火花が散ったのが見えた。それくらいに殺気立った気配が、居間を支配していたのだ。
「あんたたちに、事件を解決することは出来ないね」
「なぜ」
「俺が事件のカギを握っているから」
光は大胆不敵に笑った。
「後はそれを実証するだけで良い。だけど、あんたたちにはそれがない。いつまでもかけずり回っていたいって言うのならどうぞ、俺は引き留めない」
「・・・あなた、宗佑以上にイヤな子ね」
「褒め言葉と思っておくよ」
以前ならば、ここで煙草に火をつけるところだろう。勝利の後の一服、とでもいったところか。光は微笑んで、ソファーを指さした。
「座ったら？」
完全に納得できていないような表情ではあったが、太田は事件の概要を説明し始めた。途中で、涼子から徳川の前科や性格などが補足説明される。宗佑はその説明を聞きながら、どこか引っかかるものを感じていた。
・・・確かに、光のいうとおりだ。宗佑たちの側に分がある。だが、霞の持ち出した真珠のネックレスがあるのなら、いずれそこからアシがつくだろうし、光がいうほどの「決め手」をこちらが握っているとは思えない。さりとて、単なるはったりとも思えない何かがある・・・・・
「一番気になるのが、君の指紋の付いたボールペンなんだ」
「あれは、落としたんじゃないの、俺が？」
どこでなくしたのか覚えがないのだから仕方がないとはいえ、間抜けな台詞だ。それは口にしている光本人が一番感じているらしく、何とも言えない表情をしている。
だが、太田は首を振った。
「それなら、徳川が殴り殺されていた部屋に落ちているはずだよ。ボールペンが見つかったのはその隣の奥の部屋だし、それも小物入れに使っているトレーの中にあったんだ。そんなところにきっちりおさまるように落とすのは、至難のワザだよ」
「・・・」
「それとね、君は気付かなかったかもしれないけれど、死体の側に、麻のロープが落ちていたんだ」
「ロープが？一体何の？」
宗佑が尋ねると、太田は眉を寄せた。
「わかりません。少なくとも、徳川の家に、頑丈な麻のロープを必要とするようなものは、何一つなかったんですよ」
「それはつまり、・・・そいつで、徳川を殺そうとした・・・いや、とにかくそいつを持ち込んだヤツがいるってことだな」
「おそらくは。しかし、死体の解剖所見からみても、首を締められたような形跡は認められませんし、部屋のその他の状況からもそんな計画的な犯行ではなく、行き当たりばったりの、激情に駆られた犯罪だと思うのです」
「カッとなって、ってヤツだね」
「そういった状況がある一方で、計画的な匂いがする遺留品がある。光君の、ボールペンなどもまさしく計画的な、しかも作為が感じられる」
「真犯人と、光クンの他に、もう一人別の人間の存在があるってことね。しかも、光クンの身近に」
「どうして？」
「あなたが落としたというボールペンは、上等な品よ。一本五十円で売っているような使い捨てのものとは違う。事実、大切に使い込んだらしい形跡もあるわ。なくして、何日も気付かないようなシロモノではないわね」
もっとも、と涼子はつけたし、意地悪く微笑んだ。
「君が自分で自分に疑いがかかるような小細工を弄したとも考えられるわね。普通の人間ならそんなバカな真似はしない、という世間の常識のウラを掻く手としては、それは有効だものね」
「・・・俺はそんなに、悪賢くないよ・・・」
まさか。
宗佑は「作為が感じられる」という太田の台詞を聞いた瞬間に、ピンときていた。もちろん、徳川を殺した犯人が、わざと捜査陣を撹乱するために仕組んだ罠とも考えられる。
だが、宗佑には既に「犯人」がわかっていた。
なぜ、光は顔色を変えているのだろう。
意外だったから？
なら、もっと真っ青になっているはずだ。だが今の光は、少し表情が強ばっているだけで、たいした変化は見られない。
何故だ？
まさか・・・前から、知っていたのか？
「・・・次は、俺の番だね。・・・」 光の固い声が、宗佑の耳に流れ込んできた。