「仮面の告白」
（三）
翌日、宗佑が目を覚ますと、光がぼんやりとソファーに座っていた。どこか放心したような瞳。光がこんな表情をしているときは、必ず頭はフル回転しているのだ。今までの素行が素行だけに、また生まれつきの鋭い頭脳のおかげで、光が本気になってものを考え出すと、宗佑のような、ある種単純な考え方しかできない人間にはついていけないものがある。こんなヤツがいわゆるエリートで、日本を牛耳ろうなどと考えたら、きっと日本という国は隅から隅まで、光のモノになってしまうんだろう、と宗佑は時々考える。幸いと言うべきか、不幸にもというべきか、これまでの素行が悪すぎて、いまさらエリート街道など踏み込めるはずもない所まで来てしまっているけれど。
「光、どうした」
「え・・・」
ふと、夢から覚めたような表情で宗佑の顔を見る。そして、次の瞬間、気まずそうに視線を逸らしてしまう。
昨日、家へ帰る車中でも、光はずっと俯いて黙ったままだった。家について、お互いに自室に入ってしまうまで、不自然なほどの沈黙が、二人の間に横たわっていた。
「・・・ごめん」
「・・・」
「今は、まだ何も言えないんだ・・・だけど、いつか、そう遠くないいつか、必ず父さんには話す。約束する」
真剣を通り越して、悲壮なまでの光の表情。一体、どんな思いで宗佑を「父さん」と呼んだのか・・・宗佑は首を振った。
「気にするな」
「・・・」
「待ってるよ。お前を信じて、待ってる」
「・・・うん」
苦しそうな、それでもなんとか笑顔を浮かべ、光はこっくりと頷くと、また部屋へ入ってしまった。
一時間もした頃、光の部屋の扉がまたそっと開くのに、宗佑は気付いた。
おそらく、今度は霞に会うためではなく、なんとか一人でカタをつけようとしているのだろう。だが、一体何を？
「・・・怒るだろうな」
光が一体、何を抱え込んでいるのか、自分の身にふりかかった殺人の容疑を敢えて被ってまで、何を隠そうとしているのか、・・・。
光と、約束した。待っている、と。信じていると、だから待っている、と。約束を破って、光を尾行すれば、必ず光は怒るだろう。傷つくだろう。だが、このまま待っていることが出来るくらいなら、そもそも宗佑は光を引き取りはしなかったのだ。
宗佑は再び、息子の後をつける為に立ち上がった。それは宗佑のいう「下等な探偵業」の中でも、最も気乗りのしない、そしてイヤらしい仕事だと思った。
家をこっそり抜け出した後、光は殺された徳川悦夫の住むアパート近くを中心に、パチンコ店めぐりを始めた。昔と比べ、現代っ子の身長、体格の発達はめざましいモノがある、とはいえ、光はまだ十四歳になったばかりだ。おまけに、その十四歳の中でも小柄で華奢な部類に入る。どうみても入店を許される十八歳には届かない。だが、そんなことはどうとでもなる。自分がゲームをしたいわけではないのだから、親、兄姉についてきた子供を装えばいいのだ。
光はきょろきょろとあたりを見回し、いかにも遊び人といった風の若者に近付き、何やら話しかけた。大体、こういった手合いは自分より目上の者（権力を持っているという意味だ）以外には、大層邪険な応対をするものだ。しかもどうやら遊び人風のあんちゃんは、玉を全部すってしまったらしく、不機嫌だ。だが、光が何やらこそこそと囁くと、うるさそうな表情から怪訝そうな表情に、そして友好的な笑顔へと変化していった。
二言三言何やら聞き出すと、今度は光が不思議な妖しい笑みを浮かべて、ぽそりと囁く。あんちゃんは嬉しそうな表情で店を飛び出していった。
そんなやり取りが、四、五人相手に繰り返されると、光は次の店へ向かう。そして、また同じことの繰り返し。
「・・・一体、どこでクギの情報なんざ掴んでやがるんだ、あいつ」
宗佑が妬ましそうに呟く。
光はどうやら、情報を集めているらしい。おそらく、徳川悦夫のことについてだろう。だが、相手は半ば極道に足を突っ込んだ男たち、おいそれと光のような子供に口を割るはずがない。そこで、光の秘蔵の「情報」がモノをいう。
普通、パチンコ店で操作しているクギの情報など、決して外に漏れるはずはない。どの店のどの台がよく出るのか、そんなことが客に分かってしまえば、商売あがったりだ。ところが、光は一体どこにどんなネットワークを持っているのか、殆どウラの世界に近い所の情報を実によく知っている。おそらく、コンビニ前の仲間の仲間のそのまた仲間から、手に入れたのだろうが、・・・。
途中で店員に見とがめられながらも、親子、あるいは兄弟に連れられてきたという演技で、巧みにその場をしのいでいた光だが、六軒目のパチンコ屋を出た時に、溜息をついた。思うように情報が集まらないのだろう。
思い直したように、今度は表通りから少し路地を入ったボロアパートの二階、あるいは半地下のいかにも妖しげなジャン荘といった所に足を向けた。が、今度ばかりはさすがの光も、なかなか手が出ない様だ。一緒に中に入ってくれる人間がいなければ、中学生一人では中に入り込むことは出来ない。あたりをウロウロした挙げ句に、光はボロアパートの階段を昇り始めた。そこは宗佑もたまに出入りしたことのあるジャン荘で、確かに徳川のような臑に傷持つ身の男の情報を仕入れようとするには理想的な所といえた。
宗佑は光に見つからないように、そっと階段を昇っていった。まずいことに、ジャン荘の入り口から死角になっている、アパートを見張るような良い場所がないのだ。おそらく、手入れを恐れて、死角のない場所にジャン荘を作ったということなのだろう。ともかく、宗佑は光が入り口にさりげなく立っている監視員の若い男に声をかけている隙に、なんとか同じ階の廊下の影に隠れようと足音を忍ばせた。
監視員の男は光にとって幸運なことに、宗佑が光を伴って遊びに来た時に、顔見知りになっていたサブと呼ばれているチンピラだった。おかげで、いきなりの門前払いを喰らうことはなかったが、それでも易々と通してもらえるはずがない。サブは宗佑に一目置いているから、あまり「アニキ」のお気に召さないことはしたくない。宗佑が一緒ならともかく、一人で中に入れて何かトラブルに巻き込まれでもしたら、合わせる顔がない。そういって、なかなか首を縦に振ろうとはしない。交渉が難航しているとき、不意にサブが何を思ったのか、ひょいと顔を上げて、そして廊下の角に潜んで様子をうかがっている宗佑の姿を、見付けてしまった。
「あ、宗佑さん」
身を隠す間も、なかった。
さっと振り返った光の瞳には、・・・恐ろしい程の壮絶な色が浮かんでいた。
裏切ったな。
光の燃えるような視線に突き刺され、宗佑は身のすくむ想いがした。
「あ、光くん・・・！」
次の瞬間、光は古ぼけた鉄の柵をひらりと飛び越え、下に飛び降りてしまった。止めるどころか、声をかける間もありはしない。宗佑が手すりに駆け寄ったとき、やはり光の姿はもうそこにはなかった。
「す、すみません、俺、まずいことしちまった」
すみません、俺のせいです、と頻りに頭を下げているサブに、宗佑も怒鳴りつける訳にも行かず、苦いものを呑んでしまったような表情で、ただ天を仰いだ。
それからは、とにかく光の行方を突き止めるのが先決、と、宗佑は光が立ち回りそうな店などを一軒一軒当たっていったが、一体どこへいったものか、まるで誰も光の姿を見たものはいない。
土曜の夜の繁華街は、混雑する。金曜の夜よりはマシなのだが、それでも、週末を迎えた若い男女が羽目を外し、騒ぎまくるには丁度いい時間帯だ。宗佑は広い街の中から、たった一人の息子の姿を探しあぐねて溜息をついたが、それでも探さないわけには行かない。
あの、光の最後に見せた目。最後の拠り所としていた砦にも、仲間はいない、味方など居るはずもないのだという残酷な現実を突きつけられて、全てを諦めるしかないと思い知らされた、・・・そんな光の目。
「畜生、人が多すぎるぞ」
宗佑は泣き言を言いながら、次の盛り場へ足を向けた。
どのくらいの店を探し回り、どのくらいの時間が経ったのか・・・あとはもう若者のたむろのメッカと言われるビル解体現場くらいしかないと、重い足を引きずって歩いていると、・・・行く手に白いものがぼうっと浮かんでいる。一瞬、気の早い幽霊かとひやっとしたが、そんなはずはない。白い服を着た人間が立っているのだと気付いた瞬間、宗佑の足が止まった。
光だった。
「嘘吐き」
吐き出すような、光の口調。もう、光の瞳に傷ついた子供の表情はない。ただ、自分の敵に対する恐ろしいまでの激しい敵意しか、そこにはなかった。
「信じてるって言ったくせに。裏切ったヤツには二度と本当のことは言わないのかよ」
静かな、だが、だからこそ深い憎しみの感情が込められている声。
「待ってるって言ったくせに。嘘吐きには嘘がお似合いってことかよ」
「・・・うん、ごめんな。お前、怒るのはわかってたんだけど」
宗佑は素直に非を詫びた。光はその言葉を聞いて、激しく反発した。
「じゃあ、どうしてだよ！必ず話すって・・・」
「だってお前、俺の息子なんだから、仕方ないだろ」
「・・・？」
ふてくされたような、開き直ったような宗佑の言葉に、光は思わず口をつぐんで訝しげに眉を寄せ、首を傾げた。
「仕方ないだろ？失くしたくないんだよ。お前が心配だったんだ。お前に対する信用とか、お前の俺に対する信用とか、そんなことどうでもよかったんだから」
「・・・とーちゃん」
「お前が怒るのはわかりきってたし、お前の信用をなくすのだって、わかってたよ。だけど、そんなの関係なく、放っておけなかったんだ」
声もなく立ち尽くす光。宗佑は苦笑した。
「お前、困ってるだろう？思った通りに事が運ばなくて、困ってる。だから、助けたい」
不意に、光は背を向けた。
だが、それはジャン荘から逃げ出した時のように、宗佑を拒絶するものではなく・・・背を向け、うなだれている光に宗佑は近寄って、くしゃくしゃと絹糸のように柔らかい髪を撫でた。
「ごめんな、光」
黙って首を振る光。もしかしたら、涙でも流しそうになって、声が出せないのかもしれない。
宗佑が後ろから光を抱き寄せると、光はそっとその腕を掴んだ。
まるで、幼い子供が迷子になるのを恐れているかのように。