さて、中山弘志さん（３９歳）は課長だ。何課の課長なのかはわからない。
勤め先が役所なのか会社なのかもわからない。しかしそんなことはとりあえずどうでもいい。この事件とはあまり関係がないから。
中山弘志さん（３９歳）には奥さんがひとりと娘がひとりと息子がひとりずついる。このことは事件と深く関っている。
家族の名前と年齢はそれぞれ中村陽子さん（４０歳）、中村ユリさん（１４歳）、中村哲郎くん（１２歳）だ。
その日は中村ユリさん（１４歳）の誕生日だった。中村弘志さん（３９歳）は朝家を出るとき中村陽子さん（４０歳）に「今日はユリの誕生日だから早く帰ってきてね」と念を押された。中村陽子さん（４０歳）は娘のためにケーキを焼いたりふだんは作らないようなごちそうを準備するつもりで張り切っていた。中村陽子さん（４０歳）は専業主婦なのでいつもの業務の延長としてそれだけの仕事をこなそうというのだった。中村弘志さん（３９歳）は娘の誕生日を祝いたい気持ちでいっぱいだったから、「うん、わかってるよ」と答え、いったいどんな意味があるのかすっかり忘れてしまっていたがいつもの習慣で中村陽子さん（４０歳）の頬に行ってきますのキスをした。
中村弘志さん（３９歳）が何課の課長であるのかわからないのと同様に、具体的にどんな仕事をしているのかもわからない。でもそれはやはり事件とあまり関係がないのでどうでもよい。
でも、部下に吉村いずみさん（２５歳）がいたことはかなり重要だ。中村弘志さん（３９歳）は吉村いずみさん（２５歳）にとても好かれていたから。
その日のお昼の時間になって中村弘志さん（３９歳）が席を立って食堂へ行こうとすると吉村いずみさん（２５歳）が音もなく接近してきて「課長、お昼を食べに行きましょう」と中村弘志さん（３９歳）がまだ何も言わないうちから腕を取って歩き始めた。中村弘志さん（３９歳）は吉村いずみさん（２５歳）のことを憎からず思っていたから、吉村いずみさん（２５歳）のエスコートに素直に従うことにしていた。「していた」というのはつまりそんな日々がここしばらく続いていた、ということだ。
その日の日替わりメニューはハンバーグと温野菜、麦ご飯と豆腐の味噌汁、たくあん数切れとひじきの煮物だった。中村弘志さん（３９歳）は茹でたニンジがとても好きだったので、吉村いずみさん（２５歳）からニンジンを貰って、そのかわりにハンバーグをあげた。吉村いずみさん（２５歳）はニンジンが嫌いでハンバーグが好きで、中村弘志さん（３９歳）はハンバーグが嫌いだった。
でもきっと、好みが逆でも吉村いずみさん（２５歳）はその交換に応じただろう。そのくらい中村弘志さん（３９歳）のことが好きだったから。
「食べてしまいたいほど好きさ」
中村弘志さん（３９歳）はニンジンをお箸で突き刺しながらささやいた。もちろんニンジンに対してそう言ったのだ。でも吉村いずみさん（２５歳）は中村弘志さん（３９歳）が自分のことを言ったのだと思った。「ああ、この人は比喩を言っているのね」と。つまり、この人は私とセックスをしたいということを仄めかしているのだと考えた。
中村弘志さん（３９歳）は確かに比喩を言っていた。でもそれは違う意味で。つまり、次の瞬間ニンジンをぱくりと食べてしまったのだ。
吉村いずみさん（２５歳）は中村弘志さん（３９歳）といつかセックスしたいと思っていた。ニンジンを咀嚼する中村弘志さん（３９歳）をじっと見つめながら、今日がその日だと思った。吉村いずみさん（２５歳）は以前から暖めていた秘密の計画をその夜実行することに決めた。
同じ日の午後、中村哲郎くん（１２歳）は漢字のテストが極端に悪かったということで、教育相談室とかいう小部屋で担任の木村悦子さん（３０歳）の個人指導を受けていた。確かに中村哲郎くん（１２歳）のテストの出来はとても悪かった。全二十問中正解は二問だけという体たらく。でも、隣の席の内村達雄くん（１２歳）の出来はもっと悪かったのを中村哲郎くん（１２歳）は知っていた。
「おれ、一問しかできてなかったよ」
○がひとつしかない答案を当の内村達雄くん（１２歳）が見せてくれたのだった。中村哲郎くん（１２歳）は不満や疑問を感じながらも、あえて逃げ出さずに個人指導を受けることにした。というのも、担任の木村悦子さん（３０歳）に密かに憧れていたから。それに、帰り際に木村悦子さん（３０歳）が意味ありげに中村哲郎くん（１２歳）に微笑みかけたのがとても気になっていた。
「先生が、みっちり、教えてあげる」
そういって、ふだんとは違った笑みを浮かべたのだ。
「もしかしたら先生とのあいだに何かが起こるかもしれない」
中村哲郎くん（１２歳）はそんな不埒な妄想を抱いていた。そして実際、それは単なる妄想には終わらなかった。
中村哲郎くん（１２歳）が一行に十文字ずつ漢字を書いていくのを、木村悦子さん（３０歳）は最初少し離れたところに椅子を置いて眺めていたが、中村哲郎くん（１２歳）が一行書き終えるごとに接近してきて、いまでは中村哲郎くん（１２歳）にすっかり寄り添っていた。中村哲郎くん（１２歳）は今や漢字の書き取りどころではなくて、木村悦子さん（３０歳）から漂ってくる得も言われぬいい匂いとか、耳朶をくすぐる暖かい吐息とか、体温とか、そんなものにすっかりこころを奪われていた。そしてその結果としてすっかり勃起していた。初めての夢精を体験してからまだひと月も経っていなかったが、もう中村哲郎くん（１２歳）のペニスはひととおりの機能を備えていた。
木村悦子さん（３０歳）はもちろん中村哲郎くん（１２歳）が勃起しているのに気づいていて、そっと両手でズボンの上からペニスを包み込んだ。それだけで、中村哲郎くん（１２歳）は「あ」と言って射精した。
「わたし、あなたのことがずっと好きだったの」というと、木村悦子さん（３０歳）はブラウスのボタンを胸のところまで外し、中村哲郎くん（１２歳）を椅子から立たせてズボンとパンツを降ろすと射精したばかりでしぼんだペニスを口に含んだ。すると中村哲郎くん（１２歳）のペニスは木村悦子さん（３０歳）の口の中であっという間に大きく膨らんだ。
中村哲郎くん（１２歳）が木村悦子さん（３０歳）の口腔の中に三回射精して、四度目に挑戦しようとしたとき、木村悦子さん（３０歳）は中村哲郎くん（１２歳）のペニスを根元から噛み切ってしまった。中村哲郎くん（１２歳）は最初何が起こったのかよくわからなかっが、あまりの痛みのために呻きながら床の上を転げまわった。木村悦子さん（３０歳）は噛み切ったペニスをしばらく咀嚼していたが、やがて飲み込んでしまった。そして「おいしかった。ありがとね」とにっこり笑い、口元についていた血をハンカチでそっと拭った。
中村哲郎くん（１２歳）は七転八倒しながら移動教室のときのことを思い出していた。同じクラスの男子の中で、二晩ともお風呂に入らない子が三人ほどいた。「風邪」ということだったけど、あいつらももしかしたらぼくと同じ目に会っていたのかもしれない、と激痛の中で思った。
その日の晩、吉村いずみさん（２５歳）は中村弘志さん（３９歳）を拉致してレイプした。娘の誕生日のパーティーがあるから早く帰りたいという中村弘志さん（３９歳）を、どうしても相談に乗って欲しいことがあるんです、お時間は取らせません、三十分でいいんです、とかなんとか説得して、同居人から借りた真っ赤なベンツに乗せて睡眠薬入りのコーヒーをカップに入れてすすめた。中村弘志さん（３９歳）は少しも疑わずにそのコーヒーを飲み干し、あっという間に眠ってしまった。
吉村いずみさん（２５歳）は家の前の通りに車を停め、あたりを見回した。誰もいなかった。誰かに見られたらどう思われるだろうかと思った。ベンツを車庫に入れ扉を閉めたときにはほっとした。
吉村いずみさん（２５歳）は５歳年上の従姉妹と一緒に古い洋館に住んでいた。この事件の舞台のひとつとしては上出来というよりも出来過ぎというべきだろう。さらに素晴らしいことに、その洋館は近所の人達──おもに子供達だが──によって「幽霊屋敷」と呼ばれていた。
吉村いずみさん（２５歳）は今日に至って上司を拉致するなどという暴挙に出たが、もともとはそういう奇矯な行動をするような人ではなかった。そんなになってしまったのは、あるいは同居している従姉妹の影響かもしれなかった。
吉村いずみさん（２５歳）の従姉妹は近所の人に挨拶しない。それもシャイだからとかそういうことではなく、相手にしない。つまり無視する。「あんな連中みんなクズよ」というのが従姉妹の言い分だった。吉村いずみさん（２５歳）はどうして近所の人たちがクズなのか理解できなかったが、それでもなぜか従姉妹に反論する気になれなかった。
吉村いずみさん（２５歳）の従姉妹はゴミ捨てのルールもまるで無視した。可燃ゴミとか不燃ゴミとか資源ゴミとかまるで分けないし、ごみ収集場の掃除を町内会の持ち回りでするのだが、それもまったく無視していた。そのうち近所の人たちは吉村いずみさん（２５歳）の従姉妹のことをすっかり諦めてしまった。
そこへ二年前に吉村いずみさん（２５歳）が親許を離れて越してきてから、近所の人たちは吉村いずみさん（２５歳）にここぞとばかりに苦情を言い始めた。吉村いずみさん（２５歳）は家事全般が嫌いではなかったので、従姉妹のゴミもきちんと分別して出すようにしたし、ゴミ収集場の掃除もした。それから家の回りの掃除もしたし、植木屋さんに屋敷の木の剪定もしてもらったし、庭じゅうの草取りもした。
近所の人たちは吉村いずみさん（２５歳）に苦情を言わなくなった。でもそれはたんに苦情をいうことがなくなったからだった。あいかわらず吉村いずみさん（２５歳）の従姉妹の評判は悪かったし、吉村いずみさん（２５歳）自身も「家のことはできるみたいだけど、従姉妹ほどの器量好しではない」などと噂されていた。その噂を偶然耳にしたとき、吉村いずみさん（２５歳）はとても傷ついた。それでも近所の人たちがクズだとは思わなかったし、従姉妹のことを憎む気にもなれなかった。むしろ、従姉妹のことはますます好きになっていた。
吉村いずみさん（２５歳）と従姉妹が近所の人たちから嫌われていたのは従姉妹の奇矯さのせいだけではなかったかもしれない。吉村いずみさん（２５歳）と従姉妹の住んでいた屋敷でずっと昔殺人事件があった、と古くからの住民は語っていた。決して進んで語っていたわけではなく、人に「幽霊屋敷」の由来を聞かれるとしぶしぶ答えていたにすぎない。
「幽霊屋敷」と呼ばれるようになった直接のきっかけは、事件のあったあと空き家になっていた屋敷に忍び込んだ子供が幽霊を見た、という話が広まったことによる。もちろんそれが事実かどうかはわからない。
そして数年前に荒れ果てた屋敷を住めるくらいに手を入れて、吉村いずみさん（２５歳）の従姉妹が住むようになったのだった。
吉村いずみさん（２５歳）の従姉妹は奇矯な行動をすることでも知られていた。ゴミの捨て方がめちゃくちゃであったり誰にも挨拶ひとつするわけでもない、ということのほかに、夜になると靴を履かずに屋敷の回りをうろうろしたり、座り込んだり、ぶつぶつ独りごとを言ったりするのを見た人が何人もいる。中には庭を全裸で歩いているのを偶然見た、という人もいたが、庭は高い塀で囲まれていて道路からは見えないし、庭を見下ろすような建物もなかったのでどうやって覗いたのかは謎だ。しかしそれは事実だった。吉村いずみさん（２５歳）はそういう従姉妹の姿を何度も見ていた。
それから、ときどき若い男を連れ込むのも何度か目撃されていた。目撃された人物の特徴を照らし合わせてみると、それは特定の誰か、ということではなさそうだった。そして、男が家から出てくるのを誰も見たことがなかった。吉村いずみさん（２５歳）はときどき明け方に従姉妹がぐったりした男を車に乗せて出掛けていくのを目撃していた。最初のうちは少し気味悪く思っていたが、そのうち気にならなくなっていた。
吉村いずみさん（２５歳）はすっかり眠り込んでいた中村弘志さん（３９歳）を車から引きずり出して家の中に運び込んだ。そして、自分の部屋のダブルベッドにそっと寝かせた。そのベッドは中村弘志さん（３９歳）とセックスするためにわざわざ買ったものだった。どうしても、中村弘志さん（３９歳）とは、ラブホテルやラブホテルじゃないけどそんなふうに使われているホテルじゃなくて、自分の部屋でセックスしたかったのだ。
吉村いずみさん（２５歳）は昏睡していた中村弘志さん（３９歳）の着ていたものを全部脱がせ、中村弘志さん（３９歳）の全身を手や唇で触りまくり、それから全身をデジタルカメラで撮りまくった。もちろん口や性器のアップも。陰毛の数本をハサミで切り取って、日記帳に張り付けた。
しばらくして中村弘志さん（３９歳）が目を覚ました。完全に目を覚まさないうちに、吉村いずみさん（２５歳）は自分も裸になると強姦した。
強姦された後で、中村弘志さん（３９歳）は床の上に座り込んでベッドに凭れて泣いた。身も心もすっかり傷ついてしまっていた。吉村いずみさん（２５歳）はベッドに寝転んで嬉しそうな顔をして、「私はあなたとセックスしたかったのよ」と言った。それから「でも、ほんとうはもう少し普通のがしたかったわ」と付け加えた。吉村いずみさん（２５歳）は中村弘志さん（３９歳）をレイプしたとは少しも感じていなかった。
中村弘志さん（３９歳）は泣きながら、どうして強姦の「姦」の字は女ばっかりなんだろう、不公平じゃないか、と思っていた。やっぱり、レイプ、というほうがぴったりくるよ。それから、「ぼくはこの人のことをなんとなく気に入っていたけど、セックスしたいわけじゃなかった」と思った。「じゃあ、どうしたかったんだろう？」
それから中村弘志さん（３９歳）は次のような結論に到達した。すなわち、「ぼくはこの人とセックスしたかったわけじゃなくて、食べてしまいたかったんだ」と。セックスしたいというのにたいした理由がないのと同じように、食べてしまいたい、というのにもたいした理由はなかった。
中村弘志さん（３９歳）は突然立ち上がるとベッドの上に寝転んでいた吉村いずみさん（２５歳）の体をくまなく眺めまわし、それから撫でまわした。吉村いずみさん（２５歳）は「やっと気持ちが通じたのね」と思って、それから全身を這いまわる手の感触にうっとりとした。でも中村弘志さん（３９歳）は、どの部分を食べようかと思案していたのだった。ぜんぜん勃起していなかったのだが、吉村いずみさん（２５歳）はそのことに少しも気付いていなかった。吉村いずみさん（２５歳）は潤んだ瞳で中村弘志さん（３９歳）のことを見つめていた。中村弘志さん（３９歳）は屈んで吉村いずみさん（２５歳）の乳首を口に含み、それから軽く噛んだ。吉村いずみさん（２５歳）が「あ」と声をあげた。
それから、中村弘志さん（３９歳）は顎に力を込めて乳首を噛み切った。乳首を噛み切ったのは、二つあるから片方噛み切っても困らないだろうという配慮からだった。よく咀嚼して、それから飲み込んだ。
吉村いずみさん（２５歳）は胸から血を流しながらベッドの上で七転八倒して唸っていた。
「これがぼくの気持ちさ。ぼくはきみとセックスしたかったのじゃなくて食べてしまいたかったらしい。これでニンジンとハンバーグの交換みたいにうまくいったね」
中村弘志さん（３９歳）はそう言うと、服を着て吉村いずみさん（２５歳）の部屋を出た。部屋を出ると廊下は暗かった。でもなんとか玄関を探し当てた。薄暗い玄関には靴が揃えてあった。靴を履こうとしたとき、「どうぞ」という声がしたので振り返ると、靴べらを持った女が暗がりの中に立っていた。中村弘志さん（３９歳）は「結構です」と言うとかかとを踏み潰しながら外へ出た。雨が降っていた。中村弘志さん（３９歳）は傘を持っていなかったので濡れるにまかせるしかなかった。