「それでは時空間パトロールについて説明しましょう。簡単に言えば、あなたたちのような時間や空間に対して無批判に生きている人達を守るのが私たちの仕事なの。時空間に対して批判的な人達は常に時空間を意識しているから、時空間に対して自由にふるまえるの。でもその人達のすべてが善人というわけではないわ。中にはよからぬ人達がいて、その人達は時空間に対して無批判な人たちを食い物にしているの。そういった、時空間犯罪者を追うのが私たちの仕事なの」
「そんな説明で、たとえあたしが納得しても、アインシュタインは納得しないでしょうね」
「あら、あの人は時空間に対して批判的な人で、こないだ一緒に飲みに行ったわよ。いい人よ。『若い頃の』自分で遊ぶのがうまいの」
「『こないだ』なんていうところを見ると、あなたも時間的には無批判なんじゃないの？」
「ふふふ。『こないだ』っていうのは『記憶』における便宜的な順序のことよ」
あたしは議論するのをやめた。
「それで今から鏡を自在に操る時空間犯罪者を現行犯逮捕しに行くの。あなたには囮になってもらうわ。大丈夫よ、危険じゃないとは言わないけど。そいつはデパートの帽子売り場の店員なんだけど、売り場の鏡を自在に操るの。そう、あなたには客を装って貰うというわけ」
「この格好じゃ目立ちすぎなんじゃないですか？」
「そんなことないわよ。うふふふ」
うんざりするあたしを急き立てて、ワードローブの鏡の扉を開けると、そこは真っ暗で、衣装はなくなっていた。
「足元気をつけてね。それに乗って」
よく見ると真っ暗な空間はまるで映画に出てくる宇宙空間のようで、星のように見える光の点が無数に散らばっていた。思わず足がすくんでしまった。
ずっと昔家族旅行で行ったどこかの高原。展望台からの眺めはあたしの想像を絶するものだった。足元にあるはずの大地はざっくりとえぐられ、そこにあるのは永遠に続くかと思われるような斜面。そして彼方には青くかすんでみえる山々。あたしはその場にしゃがみこんで目をつぶって耳を塞いで首を振り続けた。
「家に帰る、帰る、帰る、帰る、帰る、帰る、帰る、帰る、帰る、・・・」
あたしにはごみごみした都会が唯一心休まる場所なのだ。
「何してんの？あなたの足元の、それに乗って」
足元にあったのはこれもまた映画的な宇宙船？♀の記号と同じ形をしていて、○の形の部分が操縦席になっている。座席は前後に並んでいる。
「さあ」
年増女に背中を押されて、あたしは丸木橋みたいにせまい通路を渡って宇宙船？に乗り移った。年増女が窓を跳ねあげて、滑り込む。あたしも仕方なく滑り込む。にしても窓が大き過ぎる、というよりも、座席全体が巨大な半球状のガラスに覆われているだけで、セーラームーンのミニスカートで座るのにはちょっと気が引けた。それに、後ろの席にはすでに年増女が座ってしまっている。
「あの、座席変わってもらえませんか？」
「無理よ。だって、後ろが操縦席なんだもの」
「でも、前に座るのはちょっと・・・」
年増女はふふんと笑った。
「大丈夫よ。誰かに会うことなんて滅多にないことだから」
あたしはあきらめることにした。何を言っても無駄みたいだ。ああ、かみさま。これもしれんですか。
でも、座席に座ると「これでも膝に掛けてなさい」って、年増女がタオルを貸してくれた。
で、そのわけのわからない宇宙空間みたいなところは、宇宙空間っていうよりも地下水道みたいなところだった。ときどき上の方から光が漏れてくるし、光の点もなんだか豆電球が光っているみたいな感じだ。
「もう少しよ」
宇宙船？はがくっといきなり止まった。シートベルトをしていなかったら座席から放り出されていたかもしれない。
「さあ降りて」
年増女はガラス窓を押し開け、あたしに続いて外に出た。そこはどう見ても地下駐車場にみえた。
「あなたはあそこに見える業務用エレベーターで５階まで行くの。そして、帽子売り場へ行って。売り場はエレベーターを出てすぐのところに案内図があるからそれを見ればわかるわ。さあ、行って」
「・・・この格好でいくんですか？」
「だって、さっきの格好じゃ怪しまれるじゃない」
「でも、さっきの格好と今の格好って、あんまり違わないと思うんですけど」
「それは素人考えね。さあ、いいから早く行って」
あたしは仕方なく言われたとおりにエレベーターに乗って、５階で降りた。確かに目の前に案内図があった。帽子売り場の位置をだいたい見当を付けると、売り場へと足を踏み出した。しかーし、だれもいねーじゃねーか。なんだこれは。あたしは腕時計を見た。
・・・年増女、いい加減にしろよ。セーラームーン・ウォッチなんてさせるんじゃねえ。それにこの時計、１３時まであるじゃねーか。どこぞの予備校の回し者か？
その時計によれば時刻は６時６２分。いったいいつなんだ？
とにかく、鞄売り場とか傘売り場を通り抜けて帽子売り場にたどり付く。なんだかへんな帽子がたくさんある。紫陽花の葉の上にカタツムリが乗っかったのとか、スイレンの葉の上にカエルがのっているのやら、ウサギの耳付きとか、穴の開いたシルクハットとか、どう見ても脳味噌の形をしているのやら。もちろん普通のおしゃれな帽子もたくさんあったけど。あたしはぜんぜん似合わないことはわかっていたのだけれどもつばの広い帽子をちょっとかぶってみた。ところーが、鏡に写っていたのは麦わら帽子をかぶったしわくちゃのじいさん。あたしは思わず自分の顔を手で触った。感触はすべすべ。でも、鏡のなかのじいさんも驚いた顔でしわくちゃの顔を撫でまわしている。
「お決まりですか？」
はっと後ろを振り返ると見目麗しい青年が立っているではないか。あたしは作り笑いを浮かべようとしたけど、引きつってうまく笑えない。
「お客様にはこちらがお似合いだと思いますよ」
背の高さはあたしとそんなに変わらない。でも、華奢な体の線と、小さめの頭が微妙なバランスを醸し出している。う〜ん、妖艶だ。
彼の手渡してくれた真っ赤なベレー帽をかぶって鏡を覗く。まあ、これがあたし？腫れぼったいはずの目蓋はいつのまにか二重になって、いくぶんぱっちりした感じに変わっているし、タラコくちびるは、確かに厚ぼったいままなんだけど、ちょっと紅をさした感じが我ながら色っぽいぜ。鼻の形も団子なんだけど、余計な肉がなくなったって感じ。そのほか、少しずつ手が加わっていて、美化１２５％ってところだろうか。あたしって結構色っぽいじゃん。
すっかりナルちゃんになってしまったあたしは、しっかり敵の術中にはまっていたのだった。なにしろいかがですかっていう店員の声に振り返っても振り返らないのとおんなじで、あれれと思って正面を向くと、何も変化がない。つまり、あたしが見ることのできるのは美化１２５％のあたしの顔だけで、右をみても左をみても上をみても下をみても、それしか見えないのだ。はっきり行って、これじゃあ歩くのもご飯を食べるにも不便だ。それに美化１２５％のあたしの顔をいつまでも見ているっていうのはいくらナルちゃんでもかなりつらい。「ねえ、いい加減にしてよ」って声に出してみたんだけど、その声はぜんぜん耳に届かない。耳栓をしているときみたいに、あたしのカワイイ頭蓋骨ちゃんを伝わってくる声にならない響きだけが伝わってくる。あたしの見ることのできるあたしの美化１２５％の唇が動いて、声を出そうと努力しているのはわかるんだけど、それはまったくむなしい努力に違いなくて、なにしろあたし自身にすらその声は届かないのだ。もちろんだからといって誰にもあたしの声が伝わっていないということにはならないのだけれど、自分で確認できないということは、きっと、そういうことなのだ。あたしは自分の顔を両側から押さえて、ムンクの「叫び」よろしく叫んでみた。なんて快感！叫ぶあたしの顔はなんだかけなげだし、叫ぶことがこんなにキモチイイことだとは思ってもみなかったよ。全身鳥肌モノ。さあ、あなたも叫んでみて。耳栓をして、顔を両手で押さえて、大声で叫ぶの。全身が振動しているのがわかるわ。震えているんじゃなくて、叫ぶことによって振動するの。さあ、あなたも叫んでみて！あたしと一緒に叫んでみて！大声で叫んでみて！
あたしを抱きしめるのは誰？思いっきり、壊れるほど抱きしめるのは誰？ユミ？そう、ユミでしょ？
・・・天井がピンク色・・・近寄らないで・・・ユミ、ユミ！
・・・天井がピンク色・・・う〜〜〜ん、頭が痛いよォ。なにこれ、香水の匂い？枕に香水の匂いなんてつけんなよ。やっぱり天井がピンク色だ・・・。趣味悪いぜ、やめろよ。なんだ、ピンク色のカーテンか？
「おはよう」
カーテンを開けてあの年増女が爽やかに言った。
「・・・」
あたしはからだを起こしたが、なんとセーラームーンの衣装を身に付けていないではないか！つまり下着だけのあられもない姿。さっきとおんなじじゃねーか。進歩がないぜ。
「なんのつもり！？」
あたしは反射的に両腕で体を隠した。
「あーら女同士なんだからいいじゃないそれにあなたとてもいい体つきをしているわね」
「よくいうよ」
年増女はカーテンを開け放した。あたしが寝ていたのはさっきと同じ天蓋付きのベッドで、開いたカーテンの向こう側に見えたのは開け放たれた巨大なワードローブで、大量のケバケバしい衣装が掛かっていた。宇宙空間は消え失せていた。
「さあ、説明してもらうわよ」
「いいわよ。あなたのおかげであいつは現行犯逮捕したわ。まあ、裁判の結果をみないとわからないけど、『記憶定着』ってことになるんじゃないかしらね」
「なにそれ」
「つまり、あなたみたいな生き方をしなくちゃならないってこと」
「なにそれ。それよりも、『裁判』なんて制度があることがよくわかんないんですけど」
「だって、便利でしょう？それに、『言葉』は時空間に優越するから」
「なにそれ」
「それよりも、ご苦労様。それから、どうもありがとう」
年増女はにっこり笑ったけど、にっこり笑っただけで済むと思うなよ。あたしだって女なんだ。
「あなたにはお礼をしないとね」
「その前に服を返して下さい」
「ええもちろん。でも、もう少しだけ、鑑賞させてちょうだい」
あたしはぶんぶん首を横に振ったが、年増女は微笑を湛えたまま十分間もあたしを眺め続けた。何しろあたしは体が痺れたみたいになっていて、うまく動くことができなかったのだ。ああ、神様。これも試練ですか？？？？
その忌まわしい店を出たとき、すでにあたりは暗くなっていた。あたしはたぶんそっちが駅だろうと思う方へと歩いていった。すると、仮面ライダーにやられたおまわりさんのいた交番のところへ出た。おそるおそる中を覗くと、別のおまわりさんがつまらなそうに外を眺めていて、その視線があたしの視線と交錯した。
「すみません、財布を落しちゃったんですけど、電車賃を貸して頂けないでしょうか」
それは以前駅で切符を買っていたときに見ず知らずのおばさんの口からでたせりふと同じものだった。だった。もちろんそのときあたしはそのおばさんのことを無視した。
おまわりさんは「ああ、それはたいへんだ。じゃあ、ここに住所と電話番号と名前を書いて」といって使い古しのノートを差し出した。
無事にお金を調達したあたしはとりあえず家にたどり着いた。ママは「ずいぶん遅かったわね」と言っただけだった。怒っていたのかもしれないし、そうでないのかもしれなかった。自分の部屋に戻るとどっと疲れが出て、服を着たままベッドに体を投げ出した。するとポケットの中になんか入っている。そうだ、あの年増女がなんかくれたんだっけ。
「家に帰ってから開けてね」
あたしはその小さな包みをスカートのポケットに突っ込んでそのまま忘れていたのだ。寝転がったままがさごそと包みを開けると、顔の上にばさばさとなんかが落ちてきた。それは年増女が煙管に詰めて吸っていたアレだった。
嗚呼、神様。これも試練ですか。