performing arts, films & movies 200003
三月の半ば過ぎから突然行動的になってしまったのは啓蟄を過ぎたから、というのもあるかもしれない。一週間のうちに映画を二本、演劇をひとつ、というのは私としては恐るべきハイペースである。
で、『星の王子さま』であるが、「見えないものが大事」ってのを逆転して見せる、みたいな。紙くずを星、と強制的に言わせてみたり。それが行きつくところは演劇の虚構性、ということなのだが、それについて語るだけのものは私にはないし（演劇をそんなにたくさん見ていない）、そんなことを述べないほうがよいというのもある。というのも予備知識なしに見たほうが絶対に幸せになれるだろうから。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』でいうところの「見えないものが大事」というのはたんに関係性とか実存（？）とかそういうもののことを指していて、寺山修二の『星の王子さま』で到達しているのも、二重否定的な経路を辿っているとはいえ、意外とよく似たものなのかもしれない。
にしても演劇そのものについては何も書けていないな。難しいね。演劇を通してしか見ることのできないものを見たというのにね。
というわけで『星の王子さま』を見た数日後にこれを見ることになってしまった。これには複雑な事情がある。昼過ぎに友人から「ＢＯＸ東中野でやってる『スペシャリスト』見に行かない？」という電話があって、それが上映開始時刻の４５分くらい前で、電話を切ってからそうえいばスペシャリストは少し前に終わったのではなかったっけ？とホームページで調べるとその通りで、折り返し電話すると家にはいなくて携帯に掛けるともう家を出たから戻るのはやだということで、それなら『アメリカン・ヒストリーＸ』を見ようということになったのだった、って別に複雑でもないね。
ひとことでいってしまえば、車泥棒の黒人二人を殺害した青年が刑務所から出所してきた日とその翌日の朝を描いた作品、ということになるか。察せられるように、人種差別的問題が取り扱われていて、出所してきた青年の弟が『我が闘争』のレポートを書いたということで校長から呼び出され、代わりのレポートを提出するように求められる。そのレポートのタイトルが「アメリカン・ヒストリーＸ」で、彼の兄のことを書くように言われる。
兄は刑務所に入る前は白人至上主義者であったが、刑務所での過酷な体験によってそれまでの自分の考えかたがいかに浅薄なものであったかを知る。そして彼が刑務所にいる間にかつての彼のようになってしまっていた弟に、自らの体験を語り、その考え方がいかに間違っているかを理解させるのだ。
そして弟は徹夜でレポートを書き上げる。その過程で、自分たちが誇りに思っていた死んだ父親が、白人至上主義者として振舞っていたことにまで思い至るのだ。
先の『白』に続いて『アメリカン・ヒストリーＸ』もかなりよかった。こういう映画ばかりならよいのに、と思う。でも現実はそう甘くはなかった。
で、デュ・プレの映画である。原題は”ヒラリー＆ジャッキー”ということからもわかるように、デュ・プレとその姉との物語である。下敷きとなっているのはデュ・プレの姉と弟の書いた伝記である。
で、映画自体はまあ普通である。デュ・プレを知らないと、いまひとつぴんと来ないかもしれないとも思う。
デュ・プレとはかつて天才女流チェリストとして名を馳せたジャクリーヌ・デュ・プレのことである。彼のダニエル・バレンボイムと結婚したことでも知られていた。とはいってもそれは1960年代の半ばから1970年代のはじめに掛けてのことで、当時のことをリアルタイムで私が知るはずもないのだが。
デュ・プレが有名なのはエルガーのチェロ協奏曲をはじめとする数々の名演のためだけではなく、その悲劇的生涯も死後間欠的に話題に上らせる要因となっているのは間違いない。恥ずかしいことに私がデュ・プレを知ることになったのもそういう事情があったからだ。映画が作られたのもそういう理由からだろう。
さらに、デュ・プレはその美しい容姿と演奏時のオーバーアクションによっても人々を魅了した。そうしてみると、デュ・プレは悲劇のヒロインとしての必要条件をすべて満たしていた、ともいえるだろう。
デュ・プレが活躍したのは十代から二十代に掛けてのほんの十年間だけで、引退したときはまだ三十になっていなかったはずだ。二十台後半に入った頃から多発性硬化症（神経繊維の髄鞘というのがなくなってしまう病気らしい。多発性、というのはあちこちに、ということで、硬化症、というのは病巣が硬くなるからそういうのだそうだ）が発症し、最初は手に違和感を感じるくらいだったが、徐々に演奏に支障をきたすようになっていく。
映画は最初二人の姉妹の物語として始まり、妹ジャッキーのデビュー・リサイタル以後二人が別々の人生を歩んで行くさまが描かれる。姉から見れば演奏家として着実にキャリアを重ねて行く妹に対する嫉妬であり、妹からすれば世間並の幸福を手中に収めた姉に対する嫉妬である。
多発性硬化症を発症し始めた頃からジャッキーは精神的に不安定になって行く。夫が天才チェリスト・ジャクリーヌ・デュ・プレではなくひとりの女性である自分のことを愛してくれているのか、夫だけでなく、だれも自分自身のことを愛してくれてはいないのではないかという疑念に駆られ、コンサートを放擲して姉夫婦の元に走る。そしてジャッキーが姉に求めたのは、姉の夫とセックスさせて欲しい、ということだった。そしてそれは結局実現されるが、姉夫婦と彼女の間には埋めがたい溝が残る。
やがてジャッキーはまったく演奏活動をできなくなり、最初は杖にすがって生活するが、やがて車椅子の生活をするようになる。視覚や聴覚も徐々に衰えて行き、子供のオーケストラに混じって太鼓を叩くことすらままならない、という状況に陥る。
やがて起きあがることもできなくなり、周囲とコミュニケーションを取ることさえ困難な状況へと変化していく。
映画の作りとしては凡庸だと思うが、デュ・プレの晩年を映像という形で見せられるのはショッキングだ。姉妹の葛藤の物語というよりも、そのことの残酷さのほうが際立っていたのではないかと思う。
でも、そんな残酷なことを知らなくたって、あの演奏を聴いてさえいればよいのではないか？ヴァージニア・ウルフは作家の性格や性質といったものは作品の中にすべて書いてある、というようなことを述べているが、デュ・プレの演奏だってそれと同じことがいえるのではないか？
でもやっぱり知りたくなってしまうのだ。悲劇のヒロインへの屈折した愛、ということなのだろうか？
帰宅してからデュ・プレとバレンボイムが競演しているチャイコフスキーのピアノ三重奏曲を久しぶりに聴いた。録音がいま一つなのか、すでに多発性硬化症が発症してからの時期の録音なのでコンディションがよくないのか、デュ・プレの演奏はいまひとつ精彩を欠いているように思われてならないのだった。