妊婦の冒険 sideＣ
Ｃ−５．手のひらの様子
一晩寝て、目が覚めたらもう３０００万年くらいの時が経過したように感じました。でも、たぶん、それは気のせいだと思います。
あいかわらず海の中は暖かくて心地よくて、このままずっと眠っていたいような気にもなりますが、目が覚める度に自分の様子が変わっていっているので、おちおち眠ってばかりもいられません。
だって、今朝、私は自分の手のひらを見てびっくりしたんです。水掻きが私の両手の指と指の間に出来ていました。
だからとても泳ぎやすくなった。
すいすいすい。
自分なりのリズムを作り出して、すいすいすい。
ちょっと勇気を出して、ずっと上の方までこのまま泳いでいってみよう。
まっすぐにまっすぐに寄り道せずに、回転している渦に巻き込まれないように注意して、自分なりの速度で、できるだけ真っ直ぐ上へ上へ。
上に行くにつれてあたりが明るくなってきました。
もっと上に行きたい。
もっともっと。
どんどん欲が出てきました。
泳いでいるうちに自分の顔の様子が変わっていくのがわかりました。でも、それを確認することはできません。
ものすごく不確かだけれども、私にはわかるのです。
だって何と言っても、この自分のことだもの。
もっと上へ。
あ。
頭の中に見たこともない光景が入り込んできました。それは私の中から生まれてきたものではありません。あくまで外部から侵入してきたみたいです。
ものすごく近しい者の記憶。
やさしい記憶。すこし戸惑っているみたいです。私の中に入り込むことに少しだけ躊躇しているみたいです。
私自身の記憶はたったの７０００万年前から始まっていたから、微々たるつまらない記憶でしかありませんが、外から入ってきた記憶が私自身の記憶と結合して、ばちっと激しい音を立てました。
ああ。
私は生きているのだと実感しました。そして、もっと上へ行かなければならないと思いました。
誰のためでもなく自分自身のために。
さあ、がんばるんだ。自分に言い聞かせる声は自分だけのものでは無いような気がしました。
何かと繋がっている。そんな感じです。
でも、もう眠らなければならない。
泳ぎながら眠らなければならない。
でも、きっと、次に目覚めたときには私はまた別の私になっているんだと思います。それがわかっているから、こうして安心して眠ることが出来るのです。
おやすみなさい、また明日。