妊婦の冒険 sideＢ
Ｂ−２．単調な日々の記録
全く同じサイクルの１日の生活が単純に無個性に積み重なっていって、いつがいつで、昨日と今日とおとといと明日の区別がつかなくなってきていた。
僕が閉じこめられている地下の小部屋のむきだしコンクリート壁には大きなのっぽの鳩時計がとりつけられていて、０分と３０分にポポーとつくりものの白い鳩が元気よく飛び出してきて時を告げた。
最初の３日間はその鳩時計ばかりを見ながら過ごしていた。ノートと２Ｂの鉛筆があたえられ（消しゴムはもらえなかった）、自分の一日の行動を克明に記録することを義務づけられた。何時何分に何をした、という単純な事実のみを書き連ねて、感想や感情といったメンタルな部分は排除された。
記録しはじめてから３日後、そのノートを見直してみて驚いた。毎日、全く同じ時間に同じ事をはじめて、同じ時間に同じ事を終えているのだった。
７時５０分、起床。
いつでも寝起きは悪くなかった。例のクイズ番組の夢はどうやら朝方みるらしくて、いつでも鮮明に詳細なところまで覚えていた。
軽い体操の後、８時ジャスト、朝食。
朝からいつでも豪華な食事だったが、肉類は一切出されなかった。手の込んだ野菜料理と豆腐や魚、豆類をたくさんのアブラをつかって料理したモノばかりだった。アルコールもでた。朝から酔っぱらうのだ。飲んだこともないような酒だった。口当たりはいいのに酔いがまわるのがヤケに早い種類の酒だった。タイミングよく次から次へと小皿によそってくれて、うまい具合に毎日同じ時間に食事を終えて、その後、薬物を注射され全くおなじ時間、９時５分前に、再び眠りについた。
何の強制もされずに目が覚めるのが１３時３０分、不思議なくらい毎日おなじ時間に目が覚めた、恐らく注射のせいだと思う。そして昼食。必ず麺類だった。ラーメンとか焼きそばとかスパゲッティとかそんなもの。味は悪くはなかったけど、量が少し少なかった。アルコールはでなかったけど、注射はした。薬物の量が朝の倍くらいだった。
そして昼食後、１４時３０分、毎日僕は射精をした。魅力的な女の子が素っ裸でかわるがわる２人ずつ組になってやってきた。カワマツ＆オオカンダペア、とか、キクチ＆カワマツ、とか、時には全く知らない女の子もやってきて、どっちかの娘が僕の性器を口に含んだ。そして彼女らは時計を見ながら、ジャスト・タイムに、うまい具合に、ピュッと、僕の精液を口の中で放出させた。
毎日毎日、僕は１４時３７分にきまって放出した。
彼女らはそれを試験管に吐き出した。９．８ｃｃだった。
小粋なカンバセイションも気の利いた感情のやりとりも目的も愛も何もない、ただの射精だった。
そして１５時からは暗闇の中で目隠しをされて、全裸で、手足を縛られ、冷たい床に横たわらされた。初めはそれこそ恐怖すら感じていた。
遠くの方で聞こえる足音、コロコロコロと近づいてくる車輪の音、小さな虫の羽音、天井からたれる水滴の音、ビビッていればビビッいるだけそんなささいな音の全てが恐ろしかった。
むき出しの腹や背中に冷たくヌメっとしたものを感じたりもした。辺りに人の気配は無かったような気がしたけど、それは定かではない。誰かがきっと監視してはいるんだろうけど僕がそういったことに鈍感になっていただけかも知れない。
時には窓ガラスの表面を爪でひっかいたような気持ちの悪い音を聞いたような気がして全身にトリハダが立ったこともあった。縛り付けられたまま小便や大便を漏らしてしまったことさえあった。涙を流しながら嗚咽をもらしてしまったこともあった。どんなに大声を出したり、あばれてみたりしても状況が好転することはなかった。
しかし、次第にそんなことにもウマク慣れていった。身体が先になじんでいって、感情が後から付いていった。
この不可思議な目隠しタイムには必ず終わりが来ると言うことを知ったからだ。必ず毎日、１９時２０分には、こんな状態からすっかり解放されることを知ったのだ。しかも、何一つイヤなことやマズいことは起こらないで、僕自身が傷つくわけでもなく、ただ、ぼんやりしていれさえすればいいのだから、何てことはない。
そして夕飯。朝食よりも豪華だったけれども、やはり肉類は出されなかった。チーズとかヨーグルトなんかをつかった料理が多かった。そして例の酒と注射。
２０時３０分からはもう一度射精タイム。きっかり２０時５５分に女の子の口の中に９．８ｃｃ放出。そして睡眠。
一日が終わる。
４日後（たぶん）からは壁の鳩時計がとりはずされ、その「行動記録」の義務もやめさせられた。時間という概念を頭で認識は出来なくなったが、体だけがその単調な慣習のタイムスケジュールを身につけてしまった。
１日２回の精子採取の時間には、女の子が来る少し前から反応して自然にとりあえず勃起した。毎日きっちり１日２回だけ勃起した。逆にそれ以外の時間には勃起しなくなった。
食事の時間も、楽しみでも何でもなく、習慣としてたんたんとこなしていった。
僕は運動不足のためブクブク太っていった。まず、腹に肉がついて顔もむくみはじめた。とても体が重く、何をするのも億劫だったし、何も考えることもできなくなっていた。身体だけじゃなく脳にさえ余分な脂肪分がついてしまったかのように感じた。
ぶっとい注射器で薬を打たれるのにも慣れたし、今日はどんな女の子が来て僕に気持ちのイイことをしてくれるのかな、なんて期待やときめきもなくなってしまった。
誰が来ても、どんなに素敵な女の子が来ても、全くおなじ時間にいつもと変わらぬ量だけ、精液を放出した。
そうやって全てに慣らされていった。
いわゆる「単調な回転」の中で、僕は心地よさすら感じ始めていた。
自分から何もしないでイイ、受け身の状態でいることはとても楽チンだった。笑うことも泣くことも、怒ることもしゃべることも不必要なのだ。
自己表現、アピールする必要が無いのだ。自分の存在を他人に示したり、自分自身で確認する必要もなく、その期間中ずっと、例の処理をしてくれる女の子達と黒子みたいな格好をした世話係、料理を運んだりする人、それ以外の人間には一切会わなかったし、一言も口をきかなかった。
いつでもどんなときでもクスリが効いていて、絶えず躁な状態にあった。身体は重くてもココロは軽かった。
時計と記録を止めてから、僕はすっかりと楽になってしまった。流されるまま、身を任すだけ。縛られることも何もない、ゆるやかで単調な回転に身を任していればそれでいい。
そして夜はぐっすりと眠り、毎日、同じ夢を見るのだ。
相変わらずの例のクイズ番組の夢だった。司会者もアシスタントも解答者としての僕の席の番号札も、そして出題される問題も全く変わらなかった。
しかし、解答者としての僕の解答率が徐々にアップ（例の番組側の意向に添った解答でだ！）していくにしたがい、ソファに座っている傍観者としての僕の意識が少しずつ変わっていったし、最初の頃の、問題と解答に対する反抗的なキモチや疑問や不満や怒りが少しずつ薄れていって、調子のいい司会者の言うところの「ヒジョーにジョーシキ的な問題」が持つ、ジョーシキ的な精神を徐々に理解していった、いや、頭で、納得して理解したわけでなく、自然と、初めから、そういうものだと思い始めてきた。もう棒状の固くて重たいモノも握らなくなっていた。
夢の中の「ある体制への調和」というか「あきらめ消化試合」みたいなもの、そういった無気力な妥協みたいなものと、例の生活習慣における「単調な回転」が持つある種の退屈と安息とが完全に同化されたときに、僕の身体の内部の奥底である変化が現れ始めた。
とても小さな、まるで蟻ぐらいの大きさの風船が割れるような、そんなわずかな音を立てて、僕の体内の、ずっと奥の方で、何か得体の知れないモノが生まれたのだ。
それが物理的なモノなのか観念的なモノなのか全然わかんなかったけど、それは大きさのワリに、ずっしりとした存在感でもって、僕を内側から監視、いや傍観しているような気がした。
そして、その僕の内側の何かがまるで脈動のような微動と正確さでもって動き始めたときに、例のクイズ番組の夢は、突然打ち切りになった。
その代わりといっては何だけど、まるで「番組の途中ですが…」という感じで、前触れもなく突然に、とっても好色そうな聖職者が僕の目の前に現れ、「やあ」と声を掛けてきた。