もそり、と布団が動く。次の瞬間、がばっと男が跳ね起きざま、枕元の時計を鷲掴みにした。
「・・・う〜・・・寝過ごした・・・！」
痛恨の打撃、という表情でガックリと肩を落とす。はあ、と溜息をついた後、窓際のカーテンを引いた。眩しい昼の光が寝不足の目を容赦なく突き刺す。
「ああ〜次の新台入れ替えはいつかなあ〜」
パチンコと麻雀で生計を立て、本職の探偵は半ば休業というぐうたら探偵、東城宗佑は恨めしそうに窓から見えるパチンコ屋の看板を眺めた。新台入れ替え日となると、朝も早くから並んでいい場所をとろうとぞろぞろと人が並ぶ。開店時間を二時間以上過ぎてしまってからノコノコ出かけていったところで、新台にありつけないのは火を見るより明らかだ。今回は諦めるより他はない。
いじけながら寝室を出て、居間兼事務所になっている部屋へ行き、後一押しでスプリングが飛び出してくる、という状況のソファーに腰を下ろした。テーブルの上に載せてある煙草の箱を振ってみるが、三つもあるそのどれもがカラだ。
「天は我を見放したもうか」
たかが煙草一本で大袈裟に嘆息する。
今日も今日とて仕事はない。行きつけのジャン荘にでも顔をだして、誰かの煙草をかっぱらうとするか。ぼんやりと髪をひっかきまわしながら今日の行動をシミュレートしていると、突然ドアが乱暴に開けられた。
「お？」
ぴたり、と手が止まり、視線はドアの方へと走る。傍目にはただ驚いて動きが止まったようにしか見えないが、全身には、乱闘も含めた事態の急変への対応も可能なように、緊張が走っている。
しかし、すぐに宗佑はその緊張を解いた。
「あかり・・・どうしたんだ、ガッコはさぼったのか？」
口は軽口を叩きながらも、一人息子の光の様子がどこかおかしいことに気付いていた。
「とーちゃん・・・」
光の顔色は、蒼白を通り越して紙のようになっていた。フラフラと部屋の中へ入ってきたその足どりは、まるで雲の上を歩いているようだ。そしてばったりと力つきて床へ横たわる・・・前に、宗佑は慌てて光の身体を支えた。
「おい、どうした？！まさかお前、おかしなクスリなんか打たれたとか・・・」
「・・・ご名答」
死にそうな声が腕の中でぼそりと答えた。
「吐く・・・」
「なに！吐く？！ま、待てよ、俺にゲロなんか引っかけんなよ！」
必死の思いで光の身体をトイレまで抱えて運ぶと、中へ入れると同時に嘔吐を始めた。
・・・だが、苦しそうに呻くばかりで胃の内容物は何も出てこない。今朝は偶々朝食を抜いたせいだろうが、・・・背を撫でてやると、それで落ち着いてきたのか、やがて宗佑の腕にしがみついたままぐったりと目を閉じてもたれ掛かってきた。
「おい、・・・もう吐くモノはないか？」
「うん・・・」
幾分頬に赤みが差してきた頃合を見計らって、宗佑は光を居間のソファーに運んだ。
「・・・何があった？」
「はじめは・・・のどかだったんだ」
宗佑にもたれ掛かったまま、光は手をポケットに突っ込んで、あの栞を取り出して、事の一部始終をぽつりぽつりと話し出した。
「なるほど？」
宗佑はたった二枚だけ残った栞をしげしげと見つめた。
「わざわざ大麻みたいな二束三文のハッパを目の色変えて追いかけ回した理由は、どう考えてる？」
「ん・・・多分、あいつらが追いかけてたのは、大麻じゃなくて、栞だと思う」
「どう違うんだ」
わかってるくせに。
光は下からじろりと宗佑を睨み付けた。口をきくことさえ辛いというのに。
「栞に加工した形で見られることを恐れたんだと思う。多分こうやって形を変えて何か違うものを流通させる実験をしていたんじゃないかな？」
「取り締まりの目をかいくぐらせるためだな」
「そのために大麻を使ってみたんじゃないかな。これくらいの量なら、もし見つかったとしても、下っ端のチンピラが小遣い稼ぎに手を出した、ってことにして組そのものを危険にさらすこともないし」
「じゃあ、どうしてお前を追いかけ回したのかな？そのまま諦めて捨ててしまってもよかったじゃないか？」
とうとう光は溜息をついた。
「そんなことまで俺が知るかよ・・・最初にアレをかっぱらったってヤツが、まずいところを見ちまったんじゃないのかな。幹部と一緒にいるところとかさ」
「試験的密売、ってところか。まあそんなものだろうな」
判っているのなら、最初から聞かないで欲しい。もはや溜息をつく気力もなく、ぐったりともたれかかっていると、宗佑はさて、といって立ち上がった。
「お前、車に乗れるか？」
「無免許だけどね」
「バカ、だれがお前に運転させるって言った！そうじゃない、涼子に迎えに来させるんだ」
「え・・・？」
「ちっと早いが、クリスマス・プレゼントって所だな。ちょっとしたことにイチャモンつけて暴力団を解体するのがあいつの趣味だから、喜ぶだろ」
一体どういう知り合いで、どういう付き合いなのか、ずっとつかず離れずの距離を保っている警視庁の嶋村涼子警部補を滅茶苦茶な表現で表してから、携帯電話の番号をプッシュし始めた。
「それにお前、ヤク打たれてるんだろ？そのアフターケアもしてもらわないと」
「そんな・・・大丈夫だよ」
「馴れてるから、とは言わさんぞ」
宗佑は渋い微笑を浮かべて光の言葉を封じた。
「それと、今度からは早めに俺の名前を出せ。必ず助けてやるから」
光は一瞬、何かをいいたそうに口を開きかけたが・・・やめた。代わりに、一つ小さく頷いた。
「全くあんたたち親子と来たら、良い度胸ね」
涼子は忌々しそうに腕を組んで二人を睨んだ。
「あたしのこと、アッシーとでも思ってるんじゃない？」
「まさか、麗しの涼子オネーサマに対してそんな罰当たりな」
「寝言は寝てからにしなさい」
あながち宗佑の寝言やお世辞とは言えない。切れ長の目と、すうっと通った鼻梁、魅惑的な唇に、モデルもつとまりそうな八頭身。オマケに出るべき所は出ている、となると彼女を追い回さない男の方がどうかしている、というべきだ。
尤も、涼子は表現の方法を問わなければ、宗佑の言ったとおり「暴力団を解体するのが趣味」と来ているから、うかつに近寄って手を出せば痛い目に遭うのはこちら、ということになってしまうのだが。
「で、結局どうだったんだ？」
宗佑がしれっと尋ねる。この辺りの面の皮の厚さも、宗佑の「尋常ではない」理由の一端を担っている。
宗佑が涼子に連絡をとってから数時間後、既に事態は終息へと向かっていた。
「あなたの読んだ通りよ、宗佑。光クンを追い回していたのは三井組のチンピラたちに間違いないわ。光クンを乗せたタクシーの運転手の供述も取ったし」
「同じハッパはハッパでも、栞に加工するとはねえ・・・そのあたりは賢いといえなくもないけどさ。中坊にひったくられて慌ててるあたりは、バカ丸だしだよな」
「大体ねえ、中学生の癖に、学校をさぼって遊んでやろうなんて考えを起こすからおかしな事件に巻き込まれるのよ」
中坊、という言葉から光の事を連想したのか、涼子は渋い顔で光を睨み付けた。
「俺は被害者でもあるし、協力者でもあるんだぜ」
「何も今言い出さなくてもさ。こいつ、今体調最悪だし」
「宗佑は甘いのよ！光クンが可愛いのはわかるけど、もうちょっとマトモな躾をしたら？！」
「そ、それはまた別問題だと思うんだが」
「同じよ！」
その時、光がぼそりと呟いた。
「男日照りで気が立ってるからって、八つ当たりするなよ、みっともない」
「だれが男日照りですって！！」
「ま、まあまあ」
「とーちゃん、俺、外行ってる」
すたすたと歩き出す光に、宗佑は悲壮な声を出した。
「ま、待て、お前はこの状況で一人だけ逃げる気か？！」
「俺しらない」
つんとそっぽを向いて歩き出す光には見向きもせず、宗佑に食って掛かる涼子。親の教育がなっていない、というわけだ。
「あなたの育て方が間違ってるんじゃないの？！」
「そ、そんな・・・こらぁ、薄情モノ！」
「子供のせいにするのは卑怯ってものじゃないかしら？！」
二人の諍い、いや一方的に涼子に責められている宗佑を見殺しにして、光は 建物を出た。階段の隅に腰を下ろすと、立番中の巡査が怪訝な表情で視線を送ってきたが、無視することにした。柱に凭れ、昼寝の準備は万端である。
ほっと溜息をつき、何となく空を見上げる。秋の日差しは既に傾きつつあった。
今日はゆっくりと優雅な一日を過ごしたいがために学校をさぼったはずだったのに、・・・とんでもない一日になってしまった。一体どこで何をどう間違えてしまったというのだろう？
「・・・次にさぼる時は校舎の屋上に行くことにしよう」
ふいと楽しそうな微笑を浮かべると、光は気持ちよさそうに目を閉じた。
＜終＞