「仮面の告白」（一）

　文部省認定、「日本一教育環境の悪い家庭」。
　東城家はまさに、そういう家庭だった。何しろ、十四歳になったばかりの一人息子、光（あかり）がビールを飲もうが夜遊びをしようが学校をサボって帰ってきても注意も説教もしない、それどころか子供のビールを羨ましがる、一緒になって夜遊びをする、少し常識では考えられない父親が光のたった一人の保護者なのだ。この保護者、宗佑（そうすけ）がまともに親らしい説教をしたのは、唯一煙草の件のみ。後は全くの放任主義。いや、これは放任などと言う生やさしいものではなく、教育の放棄というべきかもしれない。
　だから、・・・ある晩、遅くに電話がかかってきたあと、光が家を抜け出す気配に気付いても、宗佑は特に何も言わなかった。また友達にでも誘われて遊びに出ているのだろう、と気にも留めていなかった。
　宗佑の「教育方針」は、「ポリシーを持て」と「なんでも経験」である。たとえ違法行為であろうと、信念を以て行動し、後悔することがないのなら何をしても構わない、と光には言い渡してある。確かに滅茶苦茶で、常識外れではあるが、それは光のような束縛を嫌う人間に対しては、この上なく効果的な規範だった。
　生半可な「非行」など許さない。自分が生きているということに誇りを持て。宗佑の言いたかった事は、光にも伝わったらしい。これみよがしに吸っていた煙草はあっさりとやめたし、酒にも殆ど手を出さなくなった。
　光と宗佑の仲は、上手くいっていた。宗佑にはそんな自信があったし、麻雀仲間にも、喧嘩友達のような変わった親子関係を羨ましがられることもあった。
　しかし、その自信は少しずつ揺らぎ始めた。
　ほぼ毎日のようにかかってくる、夜半の電話。光の無断外出。夜はもちろん、昼間でさえ宗佑に行き先と帰宅時間の目安を告げて外出する、普段の光からは想像できないことだ。翌日、それとなく光の様子をうかがってみても、わずかに眠たげな様子をしている他には、なんの手がかりもない。いつものように毒舌と冷笑で、宗佑との親子漫才を演じている。こんな時、光の無表情が恨めしい。遊び仲間から「人形」と呼ばれ、逆に「人形」と言えば容姿の整った、冷たい無表情の美貌を持った光を指すようになっているくらいだ。ちょっとやそっとでは、その心の中を覗かせてはくれない。
　一体、何が起こっているのだろう？
　もし、他愛のない夜遊びならば、光は宗佑に断って遊びに行くはずだ。宗佑は光を信用していたし、光も宗佑を信用していた。だから、外出を禁じられるからという理由で口をつぐんでいるはずはない。そこには、何か重大な理由があるはずだ。光が宗佑にも言えない、何か大きな秘密を抱えているはずなのだ。
　だが、それは一体何なのだろう？

　今夜もまた、電話が鳴った。
　おそらく電話の前で待っていたのだろう、二回のコールだけで電話は静かになった。自室の子機で、相手と会話しているのだ。
　子機使用中のランプが消える。やがて、光の部屋から足音を忍ばせて廊下へ出る気配がした。どれだけ光が場数を踏もうと、宗佑にはかなうはずがない。ましてや、光の動向に神経を尖らせている、今の宗佑に隠れて行動できるわけはないのだ。
　裏口から出ていく気配。宗佑は、黙って立ち上がり、息子の尾行を開始した。

　時間は夜、十二時。まだまだ街からネオンの洪水は消えない。
　光は宗佑以外の人間からは隠れようとはしていないようだった。ＴシャツにＧジャン、ジーンズといったごく普通のいでたちで、街を歩いている。特に周囲を気にしたり、尾行されているかもしれないという可能性にまで気を回しているようではなかった。ただ、いつもの光よりも、足どりが重い・・・宗佑はそんな気がしていた。
　十分も歩いただろうか。にぎやかな通りに面している、二十四時間営業のファミリーレストランに入っていった時、宗佑は拍子抜けした。もっといかがわしい、いくら宗佑でも流石に眉を顰めるだろうと言うような場所に出入りしているのではと思っていたからだ。・・・とはいうものの、当の宗佑にも、どんなところが当てはまるのか想像もつかなかったが。
　だが、軽く店内を見回していた光が歩き出した、その先に座っている待ち合わせの相手を見付けたとき・・・宗佑は激しいショックを受けた。
　グラマーな人妻相手の不倫でも、清純な女子中学生との純愛でも、警察相手のタレ込みでも、密売人相手の麻薬の売買現場でも、宗佑はこれほどの大きな衝撃を受けはしなかっただろう。
　黒く、艶のある髪は肩より少し伸びている。目鼻立ちはすっきりと上品で、育ちの良さを伺わせる。歳の頃は、二十歳を二つ三つ越したところだろうか。髪を少し後ろに上げて髪飾りをつけ、その端正な横顔を宗佑に見せている人物------少し光に似た面影。

　その女性の名は神宮寺　霞------光の従姉だった。