あんまり悲しい夢。だと思う。だって好きかも知れないけど誰よりも好きというわけではないあの人が私のところにやってきて、不思議な素振りをするんだ。そして、どういうわけかうちに帰ってきていたお姉ちゃんが、私が台所に立つと後からやって来て、「あの人、あんたに『好きだ』って言いに来たんだよ。さっきあんたとはどういう関係ですか？って問い詰めてるうちに聞いちゃった」なんて言うんだ。
そういうお姉ちゃんは嬉々としてる。嬉々として嬉しそうって無駄に言葉を積み重ねてしまいたいくらい。あるいはすでに死んでしまった言葉だけど、るんるんしている。あるいはある種の華やぎ。性的な華やぎっていう言い方はいやらしいかなぁ。でもそんな感じ。愛する人とベッドの中で戯れているときみたいな華やぎ。別に布団の中でも野原の真ん中でもいいんだけど。戯れているっていってもある種の行為に励んじゃってるんじゃなくって、その前の、あるいはそんなことはいつでもできるけどこういう楽しみは滅多にないから、そんなふうに二人が通じ合ってるってこと自体が恋愛の初期段階ならともかくそうでもない二人には滅多にないことで、たぶんそういう高揚は蜜月旅行とか、それを模した結婚○周年の旅行とか、そういう時にしか得られないような、そういう華やぎ。そういう華やぎをお姉ちゃんの顔の上に認めるのは気恥ずかしい。でもそれ以上にエロティック。そういうエロティックな行為に勤しんでいる／いたお姉ちゃんと義兄。あぁ。
お姉ちゃんはあの人が私を好きだってのを聞いて、なぜかそういう華やいだ表情をした。その表情のつくりっていうか成り立ちは、メイプルソープのある写真のそれと似ていたので思わず顔を背けた。でもお姉ちゃんはそんなことには少しも頓着しないみたいだった。
「舞ちゃん、あの人のことどう思ってるの？」
好き嫌いの正直な気持ちって言うのは自分で考えれば考えるほどわからなくなってしまって、結局は自分で何らかの結論を出すことを諦めざるを得なくなってしまうことも珍しくはないんだけど、たぶんその気持ちははっきりと私の表情に表れていたのだ。実際、お姉ちゃんは黙ったまま汚れたお皿を握り締めている私の顔を見て、「ふーん、そうなんだ」と一人で納得したのだ。お姉ちゃんは相変わらず華やいだ顔をしていて、私の表情からどんな結論を導き出したのかはわからなかった。
でも私がいちばん好きなのはあの人じゃないんだ。お姉ちゃんにそう言おうと決心したときにはお姉ちゃんはそこにはいなくて、身代わりの三歳の女の子がそこにいた。まるで私が数秒間向こうを向いている間にお姉ちゃんが時間を逆行して縮んでしまったように女の子はお姉ちゃんと似ていた。その子はお姉ちゃんの子供で、本当はもう六歳なのに、三歳だった。私は言葉をそのまま飲みこんでしまうことができなかったからその場にしゃがんで姪の顔を両手で挟むようにして「でもいちばん好きなのはあの人じゃないのよ」って言った。すると姪は「じゃあ、いちばん好きなのは誰？」と言った。「いちばん好きなのは・・・」私はそこで口篭もってしまった。というのも、いちばん好きな人の名前も顔もまったく浮かんでこなかったからだ。
「ほんとうは、いちばん好きな人なんていないんでしょ？」
「そんなことないよ。いちばん好きな人は、いるよ」
「ふーん。そうなの」
姪は部屋に戻って行った。私も皿を洗うのをやめて部屋に戻った。あの人は私を見るとまた不思議な素振りをした。なんなの？私が好きならそう言えばいいじゃん？
「だって、ぼくがそう言ったら、あなたは僕のことなど何とも思っていなくてもまるで僕のことを好きであるみたいに振舞うでしょう？」
私が何も言わないのにあの人はそんなことを言った。お姉ちゃんもお母さんも頷いた。
「そう、あなたにはそういうところがあるのよね」とお母さんが言った。
「あんたのことなんてみんなお見通しよ」とお姉ちゃんが言った。
「あんたのことなんてみんなお見通しよ」と姪が言った。
私は部屋を飛び出し、玄関を飛び出した。外は高熱を出してうなされたみたいに曇っていた。でもすぐに思いなおして家に戻るとあの人が帰るところだった。そしてまたしても不思議な素振りをした。私は「言いたいことがあったらはっきり言えばいいじゃん」って怒鳴ったけど、あの人は「言いたいことははっきり言わないからいいんです」と微笑んだ。私はその場にがっくりと膝を突いて泣き出したけど、気が付いたら側にいたのは姪だけだった。
「あの人、帰ったよ。舞ちゃんのことを好きだけど、舞ちゃんは僕のことを好きじゃないんですって言ってたよ。ほんとう？」
「本当だよ」
「ふーん」
姪は家の中に掛け込んだ。雨が降ってきたのだ。私は家の前に座り込んで、このまま雨に溶けてしまえばいいのにって思ったけど、それも無理な相談だねって。だいたい、夢の外では私のことなんて少しも気に掛けてないはずで、私だって何も期待していないっていうかほんのちょっとだけ気になるだけの相手に「好きです」って言われちゃう夢なんて、悲しすぎるでしょ？