午前三時だか四時だか五時だか分からないけど目が覚めた。目が覚めた、というのは言い過ぎか。目は瞑ったままだし体は壁の方を向いたまま動かない。金縛りにあっているわけじゃなくて単に脳が活動を始めただけで体の方は動くことに興味のかけらもない、そんな感じ。
ベッドの横に女が立ってわたしを見下ろしていた。二度目。
一度目は旧盆の頃のことで、その数日前から寝室の隣の居間に使っている部屋の中に気配が飛び交っているのをちょうど今と同じような状態で感じ取っていたけど何とも思わなかった。そういう経験は初めてのことだったけど。
数日続いた気配の乱舞の翌日、盆明けの明け方、今と同じように女は現れて、やはり今と同じようにわたしを見下ろしていた。
しばらくしてから女は寝室を出ていき、居間を通って玄関の方へ去っていった。
そのときも、居間も、わたしは壁の方を向いて横たわっていたので、女を見たわけではなかった。そもそも瞼を開いたわけでもなく、体は動くことを拒否し（しつこいが金縛りではない）、脳だけが活動していて、以前のときは何を考えていたのか忘れてしまったが（どうせたいしたことなど考えてやしないのだ、今と同じく。今は夕べ書いたブロクのことを考えていた。最初メンタルヘルス系の書き込みを衝動的にしてしまったのだが、そのあとお風呂に入ったら死ぬほど恥ずかしくなったのでシャンプーしながら消去してしまおうかと考えたりしていたのだが、どうせ一度書き込んでしまったものは誰かに見られてしまっているのだから、そんなことをしても無駄で、それなら注釈を付けておく、ということで妥協しようと考えたのだが、たぶん最初に読んだ人はもう二度とその記事を読まないかもしれないので、あまり効果のある方法とも思えなかったが、自ら感じる恥ずかしさを少しでも軽減できたらいいなと思ってそうすることに決めたのはいいのだけど、シャンプーをする前に体を洗ったのかどうか忘れてしまっていた。考え事をしながらお風呂に入るとどこまで体を洗浄したかを忘れてしまうことが良くある。どうしても思い出せないので、もう一度体を洗い直すことにした。
エアコンで外の気温をモニターすると２２度。室内気温は２９度。雨戸を閉め切って窓も閉め切ってしまうとわたしとかパソコンとか冷蔵庫とかの発する熱が部屋の中に籠もってしまうらしい。らしいというのは本当にそうなのかどうかわたしにはよくわからないからだ。窓を開ければいいようなものの、わたしのアパートには脱衣場なんてものはないので、暑いうちは風呂上がりは裸で部屋の中を歩き回るということになるので必然的雨戸まで閉め切ることになるのだ。カーテンだけでは信用しきれない。とはいうものの、わたしの裸なんてどこの誰が見たいというのだろうか？ 誰も見たくないだろう。それでもわたしは雨戸を閉めないと気持ちが落ち着かない。
ブログは日記とか聴いた音楽とか読んだ本とか（最近本は読めないんだけど）漫画とか映画とか日常の些事を自らの職業を悟られないように注意深く書いている。本当のところを言えば、日本に住んでいることとか、日本語を使っていることとか、人間であることとかも悟られないようにしたいのだが、それは無理な相談だ。日本語しか使えないし、たとえばイラク在住、みたいに振る舞うのはあまりに無理があるからだ。日本以外のどこにも住んだことはないし。
そういった平和っぽい、どこにでもあるような、どちらかというとあまり見栄えのしない、ネットの片隅で細々とやってますよ、みたいなブログを運営している積もりなのだが、最近はとある単語が検索エンジンに引っ掛かってやたらにアクセス数が延びていて、それが恐ろしい。一日三十人くらいが見てくれるのがわたしとしては理想的なのだけど。
そもそも書いてしまったメンタルヘルス系の記事とはどんなものかというと、最近体調が思わしくなかったんだけど、昨日になってちょっと元気になったので遊びに行かない？ って何人かに声を掛けたら全部断られた、ということなんだ。みんな先約が入っていただけのことで、わたしが嫌われている、ということではないことは理性としては分かっているのだけど、そういう妄想が働いてしまって、ターボがかかってしまう。そうなると、ブログという書き込む場があると衝動的に書き込まずにいられない。指先が勝手にログインして鬱陶しい記事を書き込んで、送信してしまう。理性が「やめなさい」と忠告しても、指先の動きは止められない。
休日に誰も遊んでくれる人がいなくて凹んでしまった、というだけの話なんだけどね。
そんなことをたぶん明け方に脳だけが目を覚まして反芻しているときに女がベッドの横に現れた。わたしの体は動くことを拒否している（しつこいが、金縛りではない）。女はわたしのことを立って見下ろしている。死んだ母親ではない。たぶんわたしと同じくらいの年齢。ドッペルゲンガーではない。というのもその女の方がわたしよりも美しかったからだ。さらっとした長い髪とさらっとしたワンピースの着こなし以外は「見えない」。顔ははっきりしないけど、美しい。少なくともわたしの数倍は。
お盆のときみたいに女はすぐに立ち去ろうとしなかった。身じろぎもせず、わたしを立ったままいつまでも見下ろしている。わたしはそれを感じているだけで、それに関してどんな感情も湧いてこない。ひたすらブログの書き込みのことばかりを考えていた。
目が覚めたら午前九時を回ったところだった。女がいつ消えたのか、ブログについて思いめぐらすことがいつフェイドアウトしたのかは覚えていない。
起きあがろうとすると、体が重い。夕べ友達を誘いまくったあの気分は何だったのか。軽い目眩と頭痛がする。
またＳＳＲＩにやられたのか？ ＳＳＲＩというのは抗鬱剤の一種で、「気持ちを楽にして、気分を高めるお薬です。」
仕事ではいつもこれにやられっぱなしだ。体が疲れていることははっきりと認識しているのに、ついハイになって頑張ってしまう。その結果、家に帰るとあらゆる家事を放擲せざるを得なくなるほど疲れてしまうことがある。最近は騙されないようになってきたので、元気でもできるだけサボるように心がけている。
夕べは体も元気に感じられたし、たぶんＳＳＲＩ効果も出て、翌日も元気に違いないと確信していたし、そして珍しいことに、どうしても誰か友達と会って遊びたかったのだ。だから一年半くらい音信不通になっていた友達にまで連絡を取ったのだけど、全部振られたので思い切り凹んでしまったのだ。
朝起きると、夕べのことなんてどうでも良くなっていた。雨戸を開けると（もちろん着替えてから）多少雲はあるものの、気持ちよく晴れていた。少し湿度は高いけど、あんまり不快に感じられなかった。夏の暑さは残っているけど、それが妙に気持ちよかった。太陽の光を浴びると頭痛も消えてしまった（そんなに簡単に消えてしまっていいものなのか？）。
パンとヨーグルトで軽く朝食を取り、洗濯機を回す。その間はうるさいので音楽は聴けないし、朝から聴きたい音楽ってあんまりないので別に構わない。午前中は音楽も本もどうでもいい、というかそんなことしてる場合じゃない。
じゃあ何をするかというと……部屋の片づけはちょいパワー不足なので無理。仕方ないので（ほんとうなんだよ！ 信じてよ！）ネットに繋ぐ。サイトを閲覧するのではなくて、首の後ろのジャックにプラグを差し込む感覚。頭が電脳モードに切り替わる。
誰から聞いたのか忘れてしまったけど、パソコンとかテレビとかビデオとかに差し込む接続部分にはメスとオスがあって、ジャックの方がメス、プラグの方がオス！ なんて淫らなメタファー！ つまり、凹型のメスに凸型のオスを挿入する、というわけ。
わたしのパソコンにはＵＳＢとかいろんな接続部分があるけど、確かにそこにＵＳＢのケーブルを挿入するんだよね。つながっているすべての機械の電源を入れたら、パソコンはどんな感じがするんだろう。エクスタシーに身もだえする？ それともひっそりとＣＰＵ（パソコンの「脳」に当たる部分らしい）が恍惚とするのだろうか。そういえばＣＰＵに負荷がかかるほど、あるいは恍惚とするほど熱を発するらしい。
わたしもパソコンになってみたいかもしれない。
メールをチェックすると、とあるバンドのメーリングリストからまたもやウイルス付きのメールが。早く対策して欲しい。それから、夕べの書き込みに、わたしのブログにリンクしてくださっている方がコメントを付けてくれていた。午前中に返事を書くとろくなことにならないので、申し訳ないけど夜になってからありがとうコメントを付けることにする。
それからサイトの巡回をするんだけど、金曜日の晩だったせいか更新が少ない。いいなあ。みんな飲みにいったりしてるのかな？ それとも友人の何人かのように仕事に追われているのだろうか？
わたしは一人で気が変になっていた。最悪。でもね、昨日書いたブログの記事のタイトルは、大昔友達から使用許可をもらって、そらから度々使わせてもらっているもので、わたしの大のお気に入りなんだ。最悪だけど最高。
それからあちこちのサイトを巡回して、週末のお買い得品はないかとか（お金ないからかわないんだけど。見てるとなんだか楽しいでしょ？）、そんなことをしているとあっという間に時間が経ってしまう。
洗濯機が「業務終了」の合図を出したので、首の後ろからプラグをプラグを引き抜いて洗濯物を干す。洗濯物を干し終わると突然眠くなった。クスリのせいなのか残暑のせいなのか早起きのせいなのか夕べ頭がイカレてたせいなのかは分からないけど、眠くなった。もしかしたら夕方ライヴに行くかもしれないのでそのとき眠くなっては最悪なので、ベッドに横たわる。夜、これから寝なくちゃいけない、というときには感じることのできない至福感。不思議なんだけど眠かったのにすぐに眠りに付くかというとそうでもない。横になっているだけで気持ちいい……
頭が重い。少し熱っぽい。微微熱があるかもしれない。枕元の目覚ましを手に取ると午後三時少し前……たぶん四時間くらい眠った。疲れてたんだね……気が付くと冷蔵庫に入れてあった菓子パンを囓っている。夏場は軽く室内温度が三十度を超えてしまうので、エアコンのないキッチンにはパンをそのまま置いておけない。だから冷蔵庫に入れておく。本当はそうするとあんまりおいしくなくなるらしいんだけど。
食欲は全然ない。今、病気のせいで自炊できないので（やればできるだろうけど、たぶんそれだけで疲労困憊してしまうのでやめている）、栄養バランスを取るのは大変だ。朝食と昼食と夕食のすべてが菓子パン、ということも珍しくない。それで少し太った。でももともと痩せ気味だったので気にしてない。男に媚びるのはずっと昔にやめたし。思うんだけど、男って女の半分くらいしか必要ないんじゃないの？ そうすれば男の性欲だって満たされやすいと思うんだけど。数字の上では。ダメなやつはダメだろうけど。わたしみたいに。
彼氏いない歴三十数年。友達以上恋人未満、っていうことばが大昔あったけど、そんな感じになったことはあるんだけど、それで満足しちゃうんだよね。
ここだけの話だけど、わたしは未だに男を知らない。はっきり言えば処女。幸い数少ない友達はそのことでわたしを責めない。
だって男に性的欲望を感じないんだもん。あのダビデ像のあられもない姿を見ても、きれいだなと思うだけで、でも男性器って気持ち悪いと思う。女性器も気持ち悪いけど。性器ってどうしてこんなに気持ち悪くできてるんだろう？ そしてどうしてみんなそれに夢中になるんだろう？ 生物学的には理解できるんだけどね。
それともセックスってそんなにいいものなんだろうか？ でもこの歳で「初めてなんです」なんて言ったら、相手の男が萎えちゃうと思うんだけどそこんとこどうよ？
あと、これもここだけの話なんだけど（わたしはいったい誰に向かって話しかけているの？）、わたしは女の子の方が好きなんだよね。たぶん。なかなかそういう機会はないんだけど、歳下の可愛い女の子と抱き合ったり手を繋いだりすると男には決して感じなかったアヤシイ気持ちが体の中心で疼いてくる。
これに気が付いたのは両親が死んでから。両親はわたしが結婚するのを望みつつ、あるいは心配しつつ死んだと思うんだけど、わたしも気持ちに答えられなくてごめんねと思いつつ両親を見送った。
しかし、心配するくらいなら見合い話のひとつくらい持って来いよ。親戚も淡泊な人が多いので、結婚したら？ いい人はいないの？ とは聞くけど、具体的な話を持ってきた人は誰もいない。
もっとも、わたし自身「見合いしたい」と言ったこともなかったのだけど。別に見合いしたいとも結婚したいとも思わなかったし。
知り合いとか友人とか友人の友人とかの結婚生活を聞いていると、別に結婚しなくてもいいかなと。それに男に性的関心をほとんど持てないし。もちろん麗しい男性を見るのは眼福だけど、眺めているだけで幸せなので、それでおしまい。それに、もしわたしがそういう麗しい男性と結婚でもしたら、世の中の誰もが容姿に関しては「なんて不釣り合いな」と声に出さずとも思うだろう。いちばん仲のいい友達でもね！
それに、そんな麗しいダンナはガラスのケースにでも入れて飾って置きたいものです。すべての男性にあの性器が備わっているかと思うと、げんなりする……
それに、どんなに麗しい男性よりも、ちょっと可愛い女の子の方がキュートだし、触ってみたい。
と、菓子パンを囓りながらぼんやりした頭で考えていたのだが、もしライヴに行くとしたら何時に家を出ればいいんだろうかとパソコンを立ち上げ、その時点で朝のクスリを飲み忘れていたのに気付く。おーまいがっ。順番は変えられないので朝のクスリを飲む。最低三時間おいて飲まなければならないとすると、次は……ライヴハウスで飲むことになる、もし出掛けるとすればだけど。
電網でライブの開演時間と電車の到着時刻を調べる。当日券三千円＋ドリンク代五百円。今やってる仕事、収入少ないんだよ！ でも、ローレライの歌声に魅せられたわたしは、気が付くと鏡の前で服を選んだりしているのだった。
どのくらい暑いのか分からないと着る服を決められないので、ドアを開けて外に出る。九月半ばとは思えない。朝刊がドアポストに刺さったままになっていたので、引き抜いて玄関前の新聞の山の上に放り投げる。病気のせいなのかクスリのせいなのか、とにかく何のせいなのか知らないけど、新聞も読めないのだ。もう言ったっけ？
こないだ友達と会ったとき「お金ないから新聞やめるっていえば？ あたしはそれでやめちゃったよ」って言ってた。お金がないのも事実なんだけど、子供の頃からずっと新聞が家にあったので（多いときは三種類くらいの新聞が届いていた）、断るのが何となく不安なのだ。それと、そういうのを断るのがとても苦手なのだ。だって、断ると相手は嫌な顔はしないけど一瞬虚を付かれた顔をするでしょ？ あれがたまらないんだよね。それに永久に新聞をやめたいわけじゃない……なのかな。よくわからない。でも、今はどうしても新聞が読めない。月々数千円の紙束を買っているようなものだ。無駄。あらゆる意味で。でもそうしないと経済は回っていかないんでしょ？ よく知らないけど。お金を使わないと駄目なんでしょ？
でも、今度新聞の更新に来たら思い切ってしばらく休ませてくれないかと頼むことにしよう。永久にやめてしまうつもりは取りあえずないんだけど、先のことは分からない。
数分後、ベッドルームで再びベッドに横になりかけていたとき玄関の方で何かが崩れる音がした。めんどくさいなと思いながらも見に行くと、思った通りだった。何ヶ月分か知らないけど、新聞の山が崩れていた。夜中にトイレに行くときに躓くと嫌なので、崩れた新聞を少し別の場所に積み上げて、幅二十センチくらいの通路を作る。
新聞が、目を通してさえ貰えない自分たちの境遇を暗に主張し始めているのかもしれない。何しろ彼らにはわたしのいい加減な積み上げ方と、重力という味方がある。その気になればエントロピーを最大化するまで崩れることだって可能なはずだ。
エントロピーって言葉、どこで習ったんだっけ？ 高校？ 誰かから聞いたような気もするし、ピンチョンの小説で読んだような気もする。
で、再びベッドルームに戻ってどの服を着ていこうかと悩む。服はしばらく買っていない。通院し始める半年くらい前から、服を買う気力がなくなってしまっていたのだ。すでに病的状態だったのだが、どうしても、去年の夏までは通院するわけにいかなかったのだ。
ドレッサー（というほどえらそうなものではない。帆布で埃が入らないようにした洋服ケース）から出した服は、どれも何となく古びて見える。箪笥から出してきたＴシャツなんかも何となく毛羽立ってるし。
でもドレッサーの中に買ったけど着ていないサンドレスがあったので、それを着ることにする。流行とずれてるんだろうな……今、流行って昔と比べてどのくらいの支配力を持ってるんだろう？ あとはカーディガン。これも着てないのがあった。エアコンの効いているところでは必須。帽子はサマードレスと似合わないのでやめた。
若く見えるってことだけが、わたしの唯一の売りだ。三十も半ばを過ぎようというのに目尻に小皺さえないし、肌もそれほど張りを失っていない。きっと紫外線を受けない環境に自ら好んで、もしくは半ば強制されて閉じ籠もっていたせいだろう。
色白なのは生まれつきだ。日に焼けても元に戻ることは子供の頃に証明済みだ。シミはないけどホクロは多い……。
あと、目が大きいのも売りだ。しかも睫毛が長い。女の子からは羨ましがられるけど男からは何にも言われたことはないな。片手の指の本数に余る男友達は、わたしの容姿について何も言わない。気にしていないか気を使っているのか。どっちでもいいけど。
せっかくの大きな目なんだけど、強度の近眼なので眼鏡を掛けちゃうと小さく見えちゃうのが悲しい。
今日は度付きのサングラスを掛けていくことにする。色の薄いやつじゃなくて、外から視線が見えないやつ。
実はこれを掛けるのは少し恥ずかしい。なぜかは深く考えないことにしている。
化粧は……ヘタクソなので眉を整えるだけにした。お世辞だとしても誰もわたしの実年齢よりも上を言ったことがないってことは、若く見えるってことだろう。それで押し通す。あと、何年前に買ったか忘れたマックスファクターのルージュ……げ、色が濃すぎ！ やっぱりやめ。どういう経緯でこれを買ったんだっけ？ なぜマックスファクター？ 完全に記憶から欠落している。
少し前に縮毛パーマを掛けたので髪の毛がぐちゃぐちゃ、という状況はなんとか回避している。よかった。ほんとは湿度ですごいことになっちゃうんだよ。くりん、とか。
とりあえず姿見の前に立ってみる。……一瞬怯む。Ｔシャツとジーンズの方がいいんじゃないのかなと思うけど、今日はこれで行くことにする。秋だけど、夏みたいなものだし。
……にしても、貧弱な体型にこのドレスは似合わないね。今日いったい何人の失笑を買うことだろう……とか考えると病気に悪いので姿見での入念なチェックはやめて、だいたいこんなものかという程度にとどめる。
最近あんまり汗をかかないから、歩いているうちに滅茶苦茶になることもないだろうし。
サンダルとハンドバッグはほぼお揃いのチャコールブラウン。ハンドバッグには忘れないうちにクスリを入れておく。それから「群青日和」を三回続けて聞く。行き先は新宿でもないし、今日のわたしのミューズとも関係ないけど、強壮剤としてこれ以上うってつけのものはないから。
……ちなみにサンドレスは真っ赤です。誰かの心臓を抉って地を浴びたみたいな鮮やかな赤。アパートのドアを開ける瞬間が恐ろしい。勇気を出して、何事もなかったように外に出る。
たいていは誰も見なかったふりをしてくれるけど、ときどきおじいさんとかおばあさんとかがすれ違いざまにわたしのことをしげしげと眺める。わたしは知らんぷりをして通り過ぎるのだが、その度に神経がすり減るのが分かる。ああ、早く目的地に着かなくちゃ！