お風呂って特に思い入れがあるとかそういうことはないんだけど、からだだけじゃなくてこころもほぐしてくれるのかもしれない。
ねえ、まいちゃん（三十過ぎて自分のことを「まいちゃん」でもないが）。まいちゃんはつまりこういうことがいいたかったんだよね。
某月某日午後二時新宿駅中央東口で待ち合わせ。ところが相手は二時三十分を過ぎてもやってこない。その場所は携帯が通じにくいのでとりあえず地上に出て、バッグからアドレス帳を取り出して電話──つまり携帯に電話番号を登録してあるような相手ではないと。十回コールして出ないからこのやろと思いながら、でもあと十回コールしてやるって思ったら、十九回目になってコール音がやんだ。でも受話器の向こうは沈黙している。それともまわりがうるさくて聞こえないのか？携帯を思いっきり耳に押し当てて、左の耳を左手で塞ぐ。普段はぜんぜん気にならないのだけど、そのあたりはとても騒々しいのだった。「もしもし？」わたしは携帯に話し掛ける。「携帯に話し掛ける」！なんて陳腐な言い回し！でも、相手が沈黙しちゃってる場合、ほんとにそんな感じだ。新宿駅東口にそのとき何人くらいの人がいたのかしらないけれど、たったひとりで小さな機械に話し掛ける私。ほかにもそんな人はいただろうけど。ややあって、「もしもし」という声。決して聞き慣れたとは言えないけど、懐かしい声。
「もしもし、○○さん？」
「・・・はい。ああ、まいさんですね・・・」
元気がない。どうしたのだろうか。
「どうしたんですか？」
「・・・ごめんなさい。ちょっと風邪引いたみたいで・・・二時になったら電話しようとしてたんですが、いつの間にか眠っちゃってたみたいで・・・」
「え、風邪ですか？」
ああ、我ながら間抜けな質問。そんなこと、すぐにわかっちゃってた。それから、熱があって、起き上がってしゃべるのだってしんどいのだろうってことも、それからそれから・・・まあ、とにかくなんでもわかっちゃったんだよ！
「ちょっと、熱があるみたいなんです」
うんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうん、わかるよ！いわなくても、みんなわかるよ！
「そう、熱があるんですか」
ああ、わたしはいったいなんなんだ？？？？？？？？ただのバカじゃないか。
「きょうは・・・いろいろ文学(笑)の話とか・・・できると楽しみにしてたんですよ・・・行けなくなっちゃって・・・ほんとうに残念です」
うんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうん残念残念残念残念残念残念・・・(泣)。
「それから・・・ほんとうにごめんなさい」
「あ、ぜんぜん気にしないでね。ちょうど買い物もしたいと思ってたから、いいんです。また、こういう機会もあるでしょうから。ほんとに、気にしないでくださいね」
「どうもありがとう。それからほんとうにごめんなさい」
「ううん、気にしないでね。それじゃあ(^_^)」
とかなんとか電話を打ち切ったわたしだったけど、ほんとうはもっともっともっともっともっともっともっと話をしていたかった。エゴイスティックにいえば、会えないなら、せめて電話でお話ししてよ・・・って。
新宿駅東口で途方にくれるわたし。さっきまで晴れてた空がとつぜん曇り始める。すごい、わたしの気持ちとシンクロしてる！にしても三月だというのにこの寒さは何？
そのまま帰るなんてことはできない相談だったって、誰と相談するんや？鬱々としながら二人で入るはずだった喫茶店に入ろうとすると、平日の昼間だというのに行列ができてた。しかもみんな二人連れ。わたしだけがひとり。十五分ほど待たされてようやく席に着く。コートを脱いで、バッグの中からＪＬＢの『伝奇集』（岩波文庫）を取り出す。それから二人で食べようと思ってたラズベリーのタルトと紅茶を注文する。『伝奇集』を開いて「バベルの図書館」について検討する。何を？さあ(笑)。と・に・か・く、検討する、というのは以前にも読んだことがあったからだ。読むって感じじゃなかったから。ほんとは二人で検討するはずだったのだ。間もなく紅茶とラズベリーのタルトが運ばれてきた。よく暖まったカップに紅茶を注いで、口を付ける。それから湯気の向こうの不在にため息をついた。ふう。ラズベリーのタルトは以前と同じように涙が出るほどおいしかった。でも、ほんとに涙が出そうでちょっとだけ困った。
「ねえ、『バベルの図書館』って好き？」
不在。
「ねえ、ＪＬＢって好き？」
不在。
「ねえ、どんな小説が好き？」
不在。
「ねえ、わたしのこと、好き？」
不在！
っていう相手のことをラピスラズリをくれた人よりも好きだったらどうする？っていうか、ラピスラズリをくれた人のことは、たぶん好きでさえない。どうして婚約なんてしちゃったんだろう？勢いってやつか？で、どういうわけかこの五歳年下の、普段はニフティを通してやりとりしてる相手と会う日に、ラピスラズリ（売約済み）を見せびらかしてやろうとしていたのだ。相手の嫉妬を煽ろうとしてたのかなあ。
この文学青年(笑)とはオフで二度ほど会ってる。見目麗しい(笑)とか、眉目秀麗(笑)とか、そんなんじゃない、冴えない青年。本を読んで小説を書くくらいしかすることがなさそうな。ラピスラズリをくれた人のほうがどうみてもかっこいいと思う。
・・・こうやって書いてみると、陳腐だなあ。ありがちだなあ。こんなのドラマにも漫画にも小説にもならないよ。すごくつまんないよ。でもでも、それでもわたしの気持ちはウルトラマリンブルーになったり、ラズベリー・タルトになったりして、それはどんなにつまんないことでも、かけがえのないことだ。これまでむすうの人たちが経験してきたような、どうしようもなくありふれたことだけど、やっぱりわたしには大切なことなんだ。
ねえ、まいちゃん・・・なんか気持ち悪いぞ(笑)。
にしても、せっかくＪＬＢとかモビィ・ディックとか出てきてるのに、それがちっとも作品のつくりと関係してこないぞ。なんてことだ。実はラピスラズリ男がエイハブで、ラズベリー・タルトがアル・ムターシムなのだ！なんていっても誰も信じてくれないだろうし、だいたいそんなのいま思い付いただけのことだ(笑)。こんな怠惰なものを書くよりも、ピエール・メナールのように書くべきかもしれないし、あるいはこのしょーもない作文をハーマン・メルヴィルが書いたと思って読んでください。
で、これをアップしちゃうととうとうＲＯＭじゃなくなっちゃうんだけど、誰か感想とか書いてくれるんだろうか？くれると嬉しいけど、くれなくてもいいかもしれないとも思う。だって、こんなの読まされても困っちゃうだけでしょ？