（４）

一度だけならだいじょうぶ、というのは甘かった。それからひと月ほど経ったある日のこと。夕食を食べ終えたとき、ママはテレビを消し、「話がある」と切り出した。お茶を啜りながら「何？」と聞いた。

「妊娠したの」

思わず口の中のお茶を吹き出した。

「汚いなあ」

「ニンシン？」

「そう、妊娠」

「父親は誰？」

気を落ち着けようとお茶に口を付けた。

「あんた」

そう言われてお茶に咽せたのは言うまでもない。

「ぼく？」

「そう、あんた」

「何かの間違いじゃないの？」

「間違いじゃないよ。妊娠一ヶ月。少なくともこの一年というもの、あんた以外の誰ともやっていないのだから間違いないよ……顔色悪いね」

「そりゃ、青ざめるよ……ほんとに他の誰かってことはないの？」

「ないね、残念ながら」

「……堕ろすんでしょ、やっぱり」

「堕ろさないよ。生むよ」

「なぜ！？」

「生みたいから」

「どうして！？」

「だってあんたとあたしの子供だよ。生まない道理がないじゃない？」

「こういうのって……不倫じゃなくて……」

「近親相姦」

「そう、近親相姦。近親相姦で産まれてくる子供は不幸だと思う」

「なぜ？」

「だって……遺伝子の問題とあるかもしれないし」

「ああ、近親性の高い遺伝子の交配によってどうのこうのってやつね。でも植物にはそうやって子孫を残す奴もいるんだよ。クソみたいな小説ならそういう植物の話がもっともらしく出てくるところだね。でもまあ、なんてことないかもしれないじゃない？なんてことあったらそのときになって考えればいいし」

「じゃあ、ぼくはこの歳で父親になっちゃうわけ？」

「あんたの歳で父親になる人はたくさんいるよ」

「でもぼくはまだ扶養家族だし」

「大学卒業するまで養ってあげるよ。蓄えはあるし、産休取っても何とかなるでしょ。あんたもアルバイトくらいはしなさいよ」

「彼女いるし」

「振られたくせに」

「何故そのことを」

「そのくらいわかるよ」

「それじゃあぼくはもう、一生結婚できないってわけ？」

「そんなことないよ。あたしが死んだら結婚すればいい」

「それまでは駄目ってこと？」

「少なくともこの子が大きくなるまでは。それに結婚っていったってそれは法律上の問題。恋愛とかセックスはまた別問題。気の済むまでしてあげるからさ」

「堕ろしてよ」

「やだね」

「世間に知れたらどうするの？」

「もう知れてるからだいじょうぶ。こないだ職場で息子とやっちゃったって言ったら、『どうだった？』とか『よかった？』とか聞かれたよ。『よかったよ』って言ったらやっといい相手に巡り会えたね、おめでとうって。で、今日息子とのあいだの子供ができたっていったら、みんな祝福してくれたよ」

「それはママの職場が変なんだよ」

「そんなことないと思うけど」

「世の中そんなに甘いものじゃないんだ」

「ほとんどいつでもそういうことを言う奴が世の中を甘くないものにしているのがわかんないの？」

「……だいたい一度だけならだいじょうぶって言ったのはママじゃないか」

「ああそれは一度くらいやったからって妊娠するもんじゃない、ってことじゃなくてさ、一度くらいなら癖にならないかなって。やっぱりさ、ずっと一緒に住んでて普段は手さえ握らないようなそういう関係から、急に毎日する関係に変わっちゃうのってなんか気恥ずかしいじゃない？」

「こうなったら毎晩でもして欲しいね」

「いいよ」

そしてその晩、ぼくとママは性交した。

それきりになっていた彼女に電話をした。ぼくだとわかると切ろうとするので、どうしても話したいことがあるから聞いて欲しい、電話はこれきりにするから、と嘆願した。すると彼女は聞くだけ聞いてあげると言った。

ぼくは能う限り自制しながら、母親が妊娠したこと、出来た子供の父親が自分であること、母親がその子供を産むつもりであること、したがってぼくはほとんど自動的に父親としての役割を割り振られた、ということを話した。

彼女はずっと黙って聞いていたが、ぼくが「産まれてくる子供のためにできるだけのことをしたいと思う、さよなら」とかなり強引な終わり方をしようとすると、「ちょっと待って」と言った。

「あなたの言うことはよくわかったわ。あなたのしようとしていることは当たり前だと言ってしまえばそれまでだけど、でもその当たり前のことをできる人はそんなにいないし、できないまでもそうしようと努力する人だってそんなにいないと思うの。だからあなたって偉いと思う。私、あなたのこと誤解してたかも知れない。きれいなだけで、自分じゃなんにも出来ない、しようとしない人だって思ってた。もう、あなたの彼女になってあげられないけど、でもあなたの友達でいたいの。あ、誤解しないでね。あなたと付き合う気はない、と言うことじゃなくて、だってそれはもうできないことでしょ？ほんとうに、あなたと友達になりたいって思うの。また電話を掛けてきて欲しいし、私の方も電話を掛けたいし、きっとあなたのお母様、それとも奥様って呼んだ方がいいのかしら、ともいいお友達になれると思うのよね」

ぼくは彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかったが、感動していた。

そして翌年の五月、ママは無事男の子を出産した。

「あんたが赤ちゃんの時とそっくり。クローンみたい」

赤ん坊は、だっこしてみると軽くて頼りなげで、でも一生懸命生きている、という感じがした。ぼくがこの子の父親なのだ、という実感はまだ沸かなかったけど、この子のためにできることはどんなことでもする、と心に決めた。

「だっこするのヘタクソだね。まあそのうちうまくなるわよ」

とても満足そうにママは笑った。