夏だけど、涼しい。そしてとても疲れます。暑い日よりもむしろ疲れます。ディスプレイを見ている目も、疲れ気味です。肩も凝り気味です。あ、でもこれは涼しさのせいではないかもしれませんね。
夏なのに、涼しい。こんな日はなぜか感傷的な気分に陥りがちです。感傷的な気分というのはそう悪いものでもないのですけど、それに陥ってしまうと水仙の花にされてしまうかもしれないので、そこそこにしておかなければならないなと思ったりもするのですが、植物になった気分はどんなものだろうかと思わないでもないのですけど、基本的には明るく笑い飛ばしたりする方が好きなので、まあほどほどにしておきたいと思います。でも、今日のテーマは感傷ですね。やっぱり。
さて、我が家の荒れ放題の庭の可哀想な紫陽花は、最近元気がありません。それというのもヤブカラシだとかヤマイモだとかにすっかり絡み付かれているからなのですけど、当然悲鳴を聞いて駆けつけてヤブカラシを退治したりヤマイモをもとの場所へ帰るようにと説得するのは私の役目なのです。でも、今日は雨が降っていたし、こういう日は蚊も多いのです。蚊が少ないのはむしろ日中の最高気温が３５℃にもなるような日の、日がかんかんと照り付けるような時間なのですが、今度はそういう日であれば殻に閉じこもりでもしなければやり過ごせないと来ているのです。でも、紫陽花の剪定はそろそろタイムリミットなので、何とかしなければならないのです。
それから、なんにもしなくても毎年そだって大量の花を付けるオシロイバナ。同じ株なのに赤だったり黄色だったり、あるいは同じ花なのに、赤と黄色が縞模様になっていたり、不思議です。オシロイバナはむしろ暑い日の夕方、ぽつぽつと開き始めるのを眺めるのがなかなか好きなのですが、今日のように夏らしくない日の夜に眺めると、暗い中に黄色やピンク色が仄かに浮かんでいるように見えます。
でも、それをサカナにビールでも飲もうかという気にはなりません。いや、涼しいからビールがおいしくないとか、そういうことではありません。そういうんじゃなくて、だまって、長時間ではなくて、ほんの一瞥する。夏らしくない涼しいゆうべにオシロイバナを鑑賞するいちばんいい方法は、そういうものだと思うのです。すると、オシロイバナは印象として、いやむしろ残像のように残ります。その残ったものがいろいろな記憶を呼び覚ます──いやむしろ共鳴といったほうが近いかもしれませんね。もちろんオシロイバナの印象自体が記憶であるわけですが、おなじ記憶という領域の中で、いろいろなものが共鳴するに任せる、それはやっぱり感傷というものではないかと思うのです。
もちろんそういった共鳴は必ずしもオシロイバナを見た記憶ばかりを呼び覚ますわけではなく、あちこちに飛び火して、結局行き着いた先は料理とかお菓子とかいったものでした。もちろん、それだって通過点にすぎないのですが、何しろ連想なんてものは際限のないもので、それが中断されるのは、たとえばトイレに行きたいなと思ったり、お風呂沸かさなくちゃとか、そういう日常的な行動にぶつかったときなわけですけど、それだって中断といえるのかどうか、あやしいものです。
そうそう、お料理とお菓子の話でしたね。食事を取ろうと思ったら、外食をするとか、出前を頼むとか誰かに頼んで料理を作ってもらうとか自分で作るとかしなければなりません。私は外食があまり好きではないし、出前も好きではないし（ピザも含めて。誰かが訪ねてくるのを待つのが嫌なのです）、誰かに頼んで作ってもらうのも性にあいません。だから自分で作るのですけど、自慢ではありませんが、私は料理が下手です。というか、上達する意思がないというほうが正しいのかもしれません。なにしろ、ご飯と味噌汁、それから干物か塩焼きの魚、納豆、味噌汁、それからあと何か一品。それだけでおおかた満足してしまうのです。カロリーが低くなり過ぎないように注意して、味噌汁にたっぷり野菜を入れれば、栄養バランスもそう悪くはありません。
あ、でもこれは夕食の話です。昼食は出先で食べるし、朝食はパンとヨーグルトだけ（場合によってはチーズのことも）なので、自分で作らなければならないのは夕食だけなのです。
で、さっきのメニューに飽きたら適当に肉料理にしてみたり、魚のフライにしてみたりするわけです。まあその程度のバリエーションはあるのですけど、結局のところ毎日同じものばかりでも構わないのかなと思います。栄養バランスはわりと気にしますが、「楽しくておいしい食事」というところまではあんまり考えません（もちろんまずくてもいいや、ということではありませんが）。なにしろ、食事というのは毎日必ず食べなければなりません。そうでない人もいるかもしれませんが、私は毎日規則正しい食事をしないと体調を崩してしまうことを経験的に知っているので、そうする必要があるのです。
もし私がグルメとか食通とか言われたり、自分でもそうだと思っている人間であるなら、食事に対する態度はもっと違ったものであるかもしれません。たとえば、ここでこうしてディスプレイに向かっている代わりに料理の本に目を通しているかもしれませんし、タッパーにワインや果物をいれて、そこにステーキ用の肉を漬け込んでいるかもしれませんし、だいたい、いくら外食が好きでなくとも、たまには外で食事をして自分の舌に磨きをかけようとするかもしれません。でも私はそこまでする気はありません。自分ひとりのために、そこまでしておいしいものを作りたいとは思わないのです。
ところでずっとまえ、ケーキを作るのに凝ったことがありました。デコレーション系はセンスがないので、専ら焼きあがれば出来上がり、というようなケーキばかり作っていました。いちばんよく作ったのがパウンドケーキのたぐいでしょう。クライマックスはもちろんオーブンで焼きあげるというところです。だんだんいいにおいがしてきて、そのにおいはキッチンだけでなく、家じゅうに漂っていきます。それから、家の外へも漂っていき、道ゆく人をも幸福にします。どうしてそんなことが言えるのかですって？だって、私自身道を歩いていてケーキを焼くにおいがほわんと漂ってきたとき、ほんとうに幸福な気分になりましたもの。ケーキを焼くにおいは、幸福のにおいです。
パウンドケーキの場合、数日してから食べた方が美味しいと言われています。実際、そのとおりです。でも、焼いたその日に食べられないのってちょっと寂しいのです。そこで、少しくらいならいいやと端の方を食べてみるのですが、そんなに美味しくもないのです。ちょっとがっかりして、それから毎日少しずつ食べていくと、一週間後に食べる最後の数切れがいちばんおいしいのです！こんなことなら一週間たってから食べ始めればよかったねなんていうのですけど、それはあとのまつりです。
でも、自分で焼いたケーキっていうのは自分ひとりで食べるものではありません。ひとりで食べるなら、お気に入りのケーキ屋さんでお気に入りのケーキを買ってきて、とびきりの紅茶をいれて好きな音楽を聴きながら食べるべきなのです。
ケーキっていうのは、誰かのために焼くものです。決して、自分の体や胃袋のために焼くものではありません。ケーキ屋さんのケーキは、職人さんがお客さんのために心を込めてつくります。だから、ひとりで食べてもいいのです。でも、自分でケーキを焼くとき、「自分のために」は焼けないのです。もしかしたらできる人もいるのかもしれませんが、私にはできません。
などと、ふたたび脳裏にオシロイバナの残像を呼び出して、夏の夜の感傷に浸るのです。