病気療養中の母が、最近奇行に走るようになった。昨日など、裸で家の中を歩き回っていた。あるいは子供の頃夏になるたびに出掛けた別荘での思い出と今の暮らしとを混同していたのかもしれない。
その別荘は鬱蒼とした森の中にあり、隣とは少なくとも三百メートルは離れていたそうだ。だから家族以外の誰にも見られる心配がなかったので、よく素っ裸で過ごしたのだという。どうして母の両親がそんなことを許していたのかよくわからないが、体が弱かったので日光浴でもさせようという積もりでもあったのかもしれない。いずれにしても十歳にも満たない少女が裸で走り回っていたところで、特に不都合なこともなかっただろう。
しかしそろそろ六十になろうという女が素っ裸で家の中を歩き回るのは、なにかと不都合なことも多かった。わたしは後ろから寝巻きを羽織らせて、風邪を引くからと布団に寝かせた。
そして今日はビー玉を持ってきてくれという。ほら、みたことあるでしょ？ラムネの瓶の中に入っている、緑色のきれいなガラス玉。お兄さんがわたしのために、ラムネの瓶を壊して取ってくれたの。この位の桐の箱に入っているはず。母はそう言って右手の人差し指でわたしの目の前に小さな四角を描いた。
しかしわたしはそんな箱を見た記憶はなかったし、そんな話を聞いたのも初めてのことだった。母の兄、すなわちわたしの伯父は空襲で亡くなったと聞いている。
ねえお願い、と母が何度も懇願するので、わたしは数年ぶりに蔵に入ってみた。もしわたしの見たことのないもの知らないものがあるとすれば、そこしかなかった。扉を開けるとかび臭い空気がどっと流れ出してきた。手探りで電気を付けると夥しい量のがらくたが見えた。そして数年前にその扉を開けたときと同じことを思った──どこから手をつけたらいいのだろう。
古い炬燵（もちろん電気ではない）、火鉢、のようなどうでもよさそうなものに始まって、曰くありげな長持ち（一度も開けたことはない。上に物がたくさん乗っているので）、行李、お茶箱、箪笥、等々、等。いったいこの中からどうやってビー玉が入っているらしい箱を探せばいいのだろう?ラムネの瓶を壊して取り出したなら、ビー玉はたぶんひとつだろう。そしてその桐の箱は、母親がわたしの前に描き出した通りに掌に乗るくらい小さいに違いない。
扉に寄りかかってため息をついていると、あら、蔵を開けたのね、という母の声がした。母は若い頃に着ていたらしい、あまりに古くて新鮮に見えるワンピースを着ていた。すっかり病み衰えていたので、あらわになった首筋が痛々しかった。
その火鉢の中に隠してあるのよ、と母が言った。火鉢の灰の中に埋めてあるの。
わたしは母の指差す火鉢の中の灰の中を探してみることにした。灰は思ったよりもずっとやわらかくて、そのためにもうもうと舞い上がり、わたしはあっという間に灰まみれになった。
しかしそうして手探りで灰の中を探っているうちに、火鉢の底に箱のようなものが埋まっているのを認めた。掘り出してみると、母の言った通り小さな桐の箱だった。灰を払い落として渡すと、母は、どうもありがとう、と言ってその箱を開けた。中に入っていたのは見たこともないような大きな真珠だった。
ほら、ビー玉。
母は指先で真珠を摘むと少女のように笑った。